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朝の学び123 創世記17章

9月7日
読了時間: 10分

更新日:9月10日


創世記17:1- 15   


アブラムが九十九歳になったとき主はアブラムに現われ、こう仰せられた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に立てる。わたしは、あなたをおびただしくふやそう。」アブラムは、ひれ伏した。神は彼に告げて仰せられた。「わたしは、この、わたしの契約をあなたと結ぶ。あなたは多くの国民の父となる。あなたの名は、もう、アブラムと呼んではならない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。わたしは、あなたの子孫をおびただしくふやし、あなたを幾つかの国民とする。あなたから、王たちが出て来よう。わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。わたしは、あなたが滞在している地、すなわちカナンの全土を、あなたとあなたの後のあなたの子孫に永遠の所有として与える。わたしは、彼らの神となる。」ついで、神はアブラハムに仰せられた。「あなたは、あなたの後のあなたの子孫とともに、代々にわたり、わたしの契約を守らなければならない。 次のことが、わたしとあなたがたと、またあなたの後のあなたの子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中のすべての男子は割礼を受けなさい。あなたがたは、あなたがたの包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたの間の契約のしるしである。あなたがたの中の男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に、割礼を受けなければならない。家で生まれたしもべも、外国人から金で買い取られたあなたの子孫ではない者も。あなたの家で生まれたしもべも、あなたが金で買い取った者も、必ず割礼を受けなければならない。わたしの契約は、永遠の契約として、あなたがたの肉の上にしるされなければならない。包皮の肉を切り捨てられていない無割礼の男、そのような者は、その民から断ち切られなければならない。わたしの契約を破ったのである。」また、神はアブラハムに仰せられた。「あなたの妻サライのことだが、その名をサライと呼んではならない。その名はサラとなるからだ。わたしは彼女を祝福しよう。確かに、彼女によって、あなたにひとりの男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、国々の民の王たちが、彼女から出て来る。」




序論


今日の本文17章では、神様がついにアブラムの名前をアブラハムに変えてくださる内容が出てきます。ついに多くの国民の父として立てられるのです。ところが、この祝福の瞬間のために神様はもう一度アブラムに親しく現れてくださいます。神様はかつてアブラムにくださった約束の言葉を叶えようとアブラムに準備させるために、このように彼の前に現れて会ってくださったのです。この出来事は人間耕作の歴史においても非常に重要な瞬間なので、神様は御使いを代わりに遣わされたり、御声だけで働かれたりしたのではなく、アブラムの前に自ら現れてくださったのです。 

ところがこの時、神様がアブラムの前にご自身を現わされたのは、幻想や幻の中で見るものとは違いました。夢や幻の中で神様にお目にかかるのは、この肉の空間の中に霊の空間の扉が開かれ、その中にある霊の世界を見ることですが、今日の本文で神様がアブラムに現れたのは、肉の空間の中に霊の空間が形成され、霊の通路を通って降りて来られたのです。しかし、父なる神様が自ら降臨したからといって、天にいらっしゃる本体が直接いらっしゃるわけではありません。簡単に言えば分離体でいらっしゃったのですが、もちろん本体、すなわち神様の根本そのものにお目にかかることと、霊の分離を通して来られた方にお目にかかることとは大きな違いがあります。  


しかし、このように分離体でいらっしゃるからといって、天にいらっしゃる本体と姿が違うわけではなく、お目にかかる側から分離体だと感じるわけでもありません。時間空間を超越する神様は、その本体は天にいながらも、同時に分離された体を通して同じ姿と感じで、この第一の天に降りてこられたのです。しかし、いくら本体のような姿と感じだとしても、4次元の空間にいらっしゃる神様が、1次元の制約された空間に降りて来られお会いすることと、将来私たちが天国に行ってお会いすることとはその意味が全く違うという事です。     


例えば、皆さんが王に会う時、その王が皆さんの家に来て会うのと、皆さんが王宮に行って会うのとはいろいろ違うでしょう。また、高画質の鮮明なテレビであっても、実物を見ることとは差があるように、神様を本体で見ることも、やはり本体の姿や感じ、威厳と権勢などは同じだとしても、将来実物である本体を見る時に感じる感動と歓喜、充満とは次元が違います。ところが、父なる神様が、このようにアブラムに会いに来られる時に、神様お一人でいらっしゃるのではないですね。とてつもない群れの天軍と天使を連れて護衛を従えていらっしゃるのです。  

霊の眼が開かれた方々は、父なる神様がこの第一の天に降りてくる時、どんな姿でどのようにいらっしゃるのかご存知でしょう。天軍天使たちが予め降りてきて、忙しく動きながらどれほど多くの準備をするのか、そのお出ましがどれほど華やかで雄大で、権勢と威厳が感じられるのかをご覧になりました。また、補佐官と一緒に降りて来られるのを見ます。さらに、父なる神様が自ら動かれる時は、息子たちが同行する場合が多いのです。まさに本文にアブラムに会った時も父なる神様お一人で来られたのではなく、息子たちを同行して降りて来られたという事です。だから、この出会いがどれほど重要な意味を持っていたかをよく知ることができます。


あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ

このように重要な意味を持った出会いのためにアブラムの前に現れた神様は、彼に先に「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」という言葉を与えます。75歳の時に彼を召して、今まで多くの試練の過程を通して練りに練って、信仰を成長させてこられたのに、もう一度強調して「全き者であれ。」とおっしゃったのです。信仰の父という地位には決して責められるところがあってはならないからで、神様はこのように神様の前に完全であることを要求されたのです。     


神様は公義の神様なので、懲戒や災難だけでなく祝福を下さる時も、公義の中で働かれます。アブラムにも、多くの国民の父として立てていかれる驚くべき祝福を与えながらも、まず彼に完全であることをおっしゃったように、皆さんに祝福を与えるためにも、まず皆さんに準備された器を望んでおられます。聖書に名前が記された信仰の人々が、神様に用いられて祝福されるためには、それだけ器を備えて神様の前に認められなければならなかったのです。では、このような器を準備する上で最も重要なことは何でしょうか?それは本文に神様がアブラムに「あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」とおっしゃったように、神様に似せられた聖なる、完全な姿になることです。行為によって救われた旧約時代にはこの言葉が行いの完全さを意味しますが、聖霊を受けて心に割礼していく聖霊の時代は、心が聖められることと、完全さまで含まれています。だからといって、旧約時代は心の割礼をしなくてもいいという意味ではありません。本当に神様が望んでおられるのは旧約時代も今の聖霊時代も皆、心の割礼をすることでした。

申命記30:6を見ても「あなたの神、主は、あなたの心と、あなたの子孫の心を包む皮を切り捨てて、あなたが心を尽くし、精神を尽くし、あなたの神、主を愛し、それであなたが生きるようにされる。」と言われたのです。まさに心に割礼をして、心を尽くし精神を尽くして神様を愛する時に生きるようにすると言われました。これが神様が人間耕作を通して得ることを望まれるまことの子供であり、神様はこのような子供たちを天国に入れて、永遠のいのちを与えることを望んでおられるという事です。このような神様の御心をよく知っているアブラハムだったので、彼は行いでだけ神様の御前に全き者だったのではなく、心までも完全だったことを見ることができます。

したがって、今日の本文に神様が「あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ」とおっしゃったことは、単に外形的な行いの完全さではなく、完全な心から湧き出る行いの完全さという事を知らなければなりません。行いも重要だが、もっと重要なことは心だということです。ところが、信仰において行いの重要性を強調すると、ある人々は信じると言いながらも、これをまるで誤った律法主義であるかのように言ったりもします。しかし、聖書は明らかに心と共に行いの重要性を指しています。     


アブラハムが最後の関門であった、一人子のイサクを捧げる試練を通過した時も、神様はアブラハムに祝福を与え「あなたがわたしの声に聞き従ったからである」とおっしゃったのです。これについてヤコブ2:21-24では「私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげたとき、行ないによって義と認められたではありませんか。あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行ないとともに働いたのであり、信仰は行ないによって全うされ、そして、『アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた。』という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。人は行ないによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。」とあります。


多くの国民の父アブラハムを立てた永遠の契約

今、本文の2-8節には神様がアブラハムにくださる約束の言葉が出てきています。「『わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に立てる。わたしは、あなたをおびただしくふやそう。』アブラムは、ひれ伏した。神は彼に告げて仰せられた。『わたしは、この、わたしの契約をあなたと結ぶ。あなたは多くの国民の父となる。あなたの名は、もう、アブラムと呼んではならない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。わたしは、あなたの子孫をおびただしくふやし、あなたを幾つかの国民とする。あなたから、王たちが出て来よう。わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。わたしは、あなたが滞在している地、すなわちカナンの全土を、あなたとあなたの後のあなたの子孫に永遠の所有として与える。わたしは、彼らの神となる。』」

その中で5節を見ると、「あなたの名は、もう、アブラムと呼んではならない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。」神様がアブラムの名前をアブラハムに変えてくださいます。 "アブラハム"という名前の意味は多くの人の父という意味で、本文には"多くの国民の父"と表現しています。信仰の父であるアブラハムを通して、将来どれほど多くの信仰の子孫が出てくることになるのかを言っているのです。     


それと共に7節「わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。」「わたしがわたしの契約を、あなたと世々の子孫の間に立てて永遠の契約とし、あなたと代々の子孫の神様になるだろう」とおっしゃいます。今日、アブラハムを通して立てた契約によって、将来最後までのすべての歴史の流れの中で、神様がすべてを主管しながら導いていくという意味が込められています。皆さんもすでにご存知のように、イスラエルに福音が回帰し、人間耕作の歴史が終わる瞬間まで、神様はアブラハムとの約束によって最後までイスラエル民族を捨てずに、彼らの神様になってくださるのです。     


ところが、神様はこのような約束を与え、人の側でもこの約束を確証する証として割礼することをおっしゃいました。9-10節に「ついで、神はアブラハムに仰せられた。「あなたは、あなたの後のあなたの子孫とともに、代々にわたり、わたしの契約を守らなければならない。次のことが、わたしとあなたがたと、またあなたの後のあなたの子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中のすべての男子は割礼を受けなさい。」とおっしゃいます。この言葉に従って割礼をする人だけが神との間の契約が効力を発揮することになるのです

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