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朝の学び116 創世記15章

9月7日
読了時間: 9分

更新日:9月10日


創世記15:4-12


すると、主のことばが彼に臨み、こう仰せられた。「その者があなたの跡を継いではならない。ただ、あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない。」そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。また彼に仰せられた。「わたしは、この地をあなたの所有としてあなたに与えるために、カルデヤ人のウルからあなたを連れ出した主である。」彼は申し上げた。「神、主よ。それが私の所有であることを、どのようにして知ることができましょうか。」すると彼に仰せられた。「わたしのところに、三歳の雌牛と、三歳の雌やぎと、三歳の雄羊と、山鳩とそのひなを持って来なさい。」彼はそれら全部を持って来て、それらを真二つに切り裂き、その半分を互いに向かい合わせにした。しかし、鳥は切り裂かなかった。猛禽がその死体の上に降りて来たので、アブラムはそれらを追い払った。日が沈みかかったころ、深い眠りがアブラムを襲った。そして見よ。ひどい暗黒の恐怖が彼を襲った。




傷のない供え物を神様に捧げるアブラム


もしアブラムが神様の言葉を信じられず、このようにしるしを求めているのであれば、神様がアブラムの信仰を義とすることもなかったでしょう。しかし、アブラムは疑って求めたのではなかったので、神様は続く9節にアブラムにしるしを見せるために、彼に全焼のいけにえの準備をさせます。「わたしのところに、三歳の雌牛と、三歳の雌やぎと、三歳の雄羊と、山鳩とそのひなを持って来なさい。」と言いました。 ここで、三歳の雌牛と三歳の雌ヤギ、三歳の雄羊とその山鳩とひなは、アブラムの全財産を代表するものです。つまり、これを通してアブラムは自分の全財産を神様の前に捧げたという意味になります。

そして、三歳というのは傷のないという意味です。また、雌牛と雌ヤギと雄羊は、それぞれ生産を意味します。つまり、将来アブラムが神様から与えられた土地に生業(くらしを立てるための仕事)を立てていくことで、祝福されることを象徴しているのです。当時は牧畜が主な生業だったので、雌牛と雌やぎと雄羊が増えてこそ、それがすなわち祝福になることができたからです。  


このようにアブラムが供え物を取るにあたって、10節を見ると「彼はそれら全部を持って来て、それらを真二つに切り裂き、その半分を互いに向かい合わせにした。しかし、鳥は切り裂かなかった。」とあります。雌牛と雌やぎと雄羊は真っ二つに切り裂いたが、鳥は切り裂かなかったのです。では、これにはまたどんな意味が込められているのでしょうか?雌牛と雌やぎと雄羊を真っ二つに切り裂いたということは、アブラムと父なる神様の間の約束を正確にするという意味が込められています。正確に真っ二つに切り裂くので、一方でも偏りのない神様との正確な約束を意味することです。

しかし、鳥を切り裂かなかったのは、父なる神様とアブラム自身との関係が上下関係にあることを示すものです。他の供え物は、その中間を分けることで、父なる神様とアブラム自身の間に立てた約束が、互いに双方の間でなされた正確な約束であることを示しましたが、同時に鳥は切り裂かなかったことで、神様とアブラム自身が対等な関係ではなく、アブラム自身は神の下で仕える者という上下の秩序が、必ず守られなければならない関係であることを明確にしているのです。供え物の中間を分けるということは、まるで父なる神の側のものと、アブラムの側のものを分けるように感じられるが、このように鳥は切り裂かずにそのまま置いたとは、すべてが完全に父なる神様から出たということを意味するのです。 

そして11節に「猛禽がその死体の上に降りて来たので、アブラムはそれらを追い払った。」とあるのは、父なる神様とアブラムの間の約束を誰も破る者がいないという意味です。レビ記11:13によれば、「また、鳥のうちで次のものを忌むべきものとしなければならない。これらは忌むべきもので、食べてはならない。すなわち、はげわし、はげたか、黒はげたか、」とありますが、猛禽が、神との契約を象徴する全焼のいけにえの上に降りて来るということは、神との契約を敵である悪魔サタンが妨害することを表しています。 アブラムはこのような猛禽を追い払うことで、誰も神との約束を妨げないようにしたのです。アブラムはこのことをよく知っていたので、神の前に全焼のいけにえを置くことで、自分の役目を果たしたと思わなかったのです。

15章17節に「さて、日は沈み、暗やみになったとき、そのとき、煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、あの切り裂かれたものの間を通り過ぎた。」とあるように、神様が自ら火を下し、アブラムの全焼のいけにえをかぐわしい香りとして喜んでかがれるまで、アブラムは、目を覚まして全焼のいけにえを守ったのです。 これは今日私たちが答えられることにおいてもとても重要です。神に答えられるために私たちの方からすべき道理をつくしたとしても、敵である悪魔サタンは素直に答えられるように放っておかないでしょう。従って、アブラムが猛禽を追い払ったように、答えられる瞬間までいつも目を覚ましていて、敵である悪魔サタンの妨害を退けなければならないのです。決して油断せず、いつも目を覚まして祈らなければならないということです。


夢を通して将来のことを見せてくださる


さて、12節の御言葉を見ると、「日が沈みかかったころ、深い眠りがアブラムを襲った。そして見よ。ひどい暗黒の恐怖が彼を襲った。」とあります。今までアブラムは神様と声を通して、または幻を通しても交わる体験をしてきました。ところが、12節では夢を通して神様と交わる体験が記録されています。同時に13節からは夢と共に父なる神様が声で働きかけていらっしゃいます。5:13「そこで、アブラムに仰せがあった。「あなたはこの事をよく知っていなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない国で寄留者となり、彼らは奴隷とされ、四百年の間、苦しめられよう。」

ここで「深い眠り」ということは、神様が今アブラムに夢で働いていることを示しています。そしてこの時、神様はアブラムにこれから子孫たちにおきることについて見せてくださいました。その内容は、彼の子孫たちがこれから乗り越えなければならない前途が決して平坦ではないということでした。 近いところでは、将来、自分たちのものでない国で寄留者となり、400年間奴隷の暮らしをすることになり、その後も、彼の子孫たちに迫ってくる逆境の瞬間が、アブラムの夢の中に広がって見えたのです。その内容が明るくて、平安なものではなかったため、「ひどい暗黒の恐怖が彼を襲った。」と表現しているのです。暗黒という単語からも感じられるように、アブラムの子孫たちが将来経験する逆境と困難が、決して容易な道ではなかったということを、私たちはイスラエルの歴史を通してもよく知ることができます。そして、たとえ夢ではあったが、それがまるで実際に見ているかのように見えたので、その内容はアブラムに「ひどい暗黒の恐怖」として訪れることになったのです。 

しかし、アブラムの子孫たちが体験することになる逆境は、決して敵である悪魔が神より能力があって、そのように働いているわけではないという事です。すべてが神様の手の中で神様の主管の中で許されることです。したがって、敵である悪魔の方では自分たちに力があって、アブラムの子孫たちをそのように逆境に導いていくと思うが、実はすべてが神の主管の中にあるのです。今も敵である悪魔は、自分たちは神様が選んだ民族であるイスラエルを、永遠の亡びに導いていると思うでしょうが、イスラエル民族には最後にもう一度父なる神様が隠しておかれた摂理があります。


神様は選民イスラエルをそのまま死に追いやるのではなく、福音の回帰を通して、もう一度彼らに救いの機会を許すことになります。最後の時のために備えられた二人の証人もいるのです。しかし、このような救いの火を灯すみわざが、彼ら自身によって起こるわけではありません。まさに福音の回帰を成し遂げることになる聖霊の火のようなみわざが、その地に施されることになるのです。この全てのこと一つ一つが父なる神様の摂理の中で正確にかみ合っているという事です。ところが、今はその終わりが見えてきているので、時がどれほど近いかということを知らなければなりません。    


聖書を見ると、神様が夢としてはたらかれる場合があります。神様が夢として働かれる時は、誰にでも働かれるのではありません。自分の思いや考えがなく、父なる神様を真に信じる人、このような人に夢として働かれることになります。もちろん、神様は時に従って子供たちに夢を通して、近づいてくる試練をあらかじめ知らせたり、祈りの答に対する確証を見せたり、自分の信仰状態を悟らせてくれたりします。しかし、肉の考えが残っている人は、夢の中でも自分の考えが入るので、神様がくださる意味を正確に見分けることができない場合があるのです。したがって、神様が夢として働かれる場合も多いですが、だからといってすべての夢を神様がくださったものだと考えてはならないということです。

自分の考えの中に見る夢もいくらでもあり、時には敵である悪魔サタンが与える夢もあることを知らなければなりません。したがって、夢を解釈する場合には、さらに霊的な分別力が必要です。夢の内容を御言葉で照らし、よく分別しなければならず、自分が見た夢が正確に合っているのかも点検しなければなりません。肉の考えが完全に砕かれ、神様との真実な信頼関係が築かれるまでは、夢に自分の考えが入ることもありうることを知らなければなりません

 


結論


アブラムは神様が約束の言葉をくださった時、神様の言葉に頼って、現実ではなく結果を見る信仰の義を成し遂げました。そして後に、この信仰の義が約束の種であるイサクとして現れるまで、アブラムは決して神の言葉を疑ったり、移り変わったりしませんでした。神様はアブラムの信仰の義を認め、彼に約束の種であるイサクを与える時、「あなたは私の前を歩み、全き者であれ」とおっしゃいました。アブラムに驚くべき祝福の言葉を与えましたが、その言葉を叶えるまでは、アブラムが神様の前で完全な行いを成し遂げる時を待っておられたということです。 

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