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朝の学び108 創世記14章

9月6日
読了時間: 10分

更新日:9月10日


創世記 14:1-16 


さて、シヌアルの王アムラフェル、エラサルの王アルヨク、エラムの王ケドルラオメル、ゴイムの王ティデアルの時代に、これらの王たちは、ソドムの王ベラ、ゴモラの王ビルシャ、アデマの王シヌアブ、ツェボイムの王シェムエベル、ベラの王、すなわち、ツォアルの王と戦った。このすべての王たちは連合して、シディムの谷、すなわち、今の塩の海に進んだ。彼らは十二年間ケドルラオメルに仕えていたが、十三年目にそむいた。十四年目に、ケドルラオメルと彼にくみする王たちがやって来て、アシュテロテ・カルナイムでレファイム人を、ハムでズジム人を、シャベ・キルヤタイムでエミム人を、セイルの山地でホリ人を打ち破り、砂漠の近くのエル・パランまで進んだ。彼らは引き返して、エン・ミシュパテ、今のカデシュに至り、アマレク人のすべての村落と、ハツァツォン・タマルに住んでいるエモリ人さえも打ち破った。そこで、ソドムの王、ゴモラの王、アデマの王、ツェボイムの王、ベラの王、すなわちツォアルの王が出て行き、シディムの谷で彼らと戦う備えをした。エラムの王ケドルラオメル、ゴイムの王ティデアル、シヌアルの王アムラフェル、エラサルの王アルヨク、この四人の王と、先の五人の王とである。シディムの谷には多くの瀝青の穴が散在していたので、ソドムの王とゴモラの王は逃げたとき、その穴に落ち込み、残りの者たちは山のほうに逃げた。そこで、彼らはソドムとゴモラの全財産と食糧全部を奪って行った。彼らはまた、アブラムのおいのロトとその財産をも奪い去った。ロトはソドムに住んでいた。ひとりの逃亡者が、ヘブル人アブラムのところに来て、そのことを告げた。アブラムはエモリ人マムレの樫の木のところに住んでいた。マムレはエシュコルとアネルの親類で、彼らはアブラムと盟約を結んでいた。「アブラムは自分の親類の者がとりこになったことを聞き、彼の家で生まれたしもべども三百十八人を召集して、ダンまで追跡した。夜になって、彼と奴隷たちは、彼らに向かって展開し、彼らを打ち破り、ダマスコの北にあるホバまで彼らを追跡した。そして、彼はすべての財産を取り戻し、また親類の者ロトとその財産、それにまた、女たちや人々をも取り戻した。



 

アブラムの善良な心       


アブラムは祝福を受け、かなりの勢力を持っていたとしても、いざ甥のロトが北方の連合軍によって捕虜になったという話を聞いた時、肉的に考えてみれば快く気軽に出られる状況ではありませんでした。北方の王たちの連合軍が、すでに周辺の様々な国と属国を次々と攻撃し、勢いに乗っていた時に、アブラムが連合軍を相手に戦争を遂行するということは、決して容易なことではありません。しかし、アブラムは肉的な状況を見たのではなく、すべてを信仰の目で見つめ、ロトに対しても最後まで道理を尽くす善良な心でした。もし邪悪な心を持った人だったら、「それを見ろ、良いものを先に選んで行って、結局そのような災いに遭ってしまったんだ」と、ただ知らんふりをすることもできたでしょう。また、すでに自分の方ではできる道理を尽くしたと考え、責任がないとそっぽを向くこともあるのです。ここまでは考えなくても、しぶしぶ甥っ子を助けに行く人もいるでしょう。     


アブラムには悪の心が全くなかったので、どうしても甥のロトを救わなければならないという善良な心で、すぐにしもべを従えて駆けつけました。自分は抜けたまま、しもべだけを送ったわけでもなく、「こんな戦争の渦中に私がここを去ったら、私の天幕はどうなるのか…···」と、自分の所有を先に心配したわけでもありませんでした。自分の所有については振り返る暇もなく、自ら先頭に立って軍を率いていきました。アブラムには何の邪心もなく、たとえロトが自分の利益を追って自分から去っていったとしても、一度自分に属した人に対しては、最後まで責任を果たそうとする善良な心があったのです。ここで私たちは神様の心を感じることができます。

ヨハネ13:1によれば「さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。」と記されているが、これはまさにイエスが自分を売るユダに対してまでも、最後まで愛の心を抱いていたことを物語っています。イエス様は、イスカリオテ·ユダが時がくれば自分を売ることを知りながらも、「彼は私を裏切って売る人だ」と、彼を遠ざけて憎んだのではなく、最後の瞬間までも愛と哀れみの心で彼に接して下さったという事です。イスカリオテ・ユダだけでなく、将来イエス様を知らないと3回も否認することになるペテロに対しても、またイエス様が十字架を負う時になれば、恐怖で散ってしまう他の弟子たちに対しても、イエス様は最後まで愛を注いでくださいました。このような主の心のように、アブラムもまた、ロトが一時自分の利益を追って自分を去ったからといって、それによっていかなる感情も抱かなかったのです。ロトを先に理解してあげる気持ちで、たとえロトが遠く離れていても、いつも彼に気を配って、いつでも助ける気持ちを持っていました。   


私もこのような神様の心を成し遂げようと努力し、今まで過ごしてきた歳月を振り返ってみると、いつもこのような気持ちで行ったと申し上げることができます。単純に自分の利益だけを追う人だけでなく、裏切って去って悪を行った人々までも、私はいつも彼らに善で接し、憎む心を全く持ったことがありませんでした。彼らの中に災いに遭ったり、試練や患難によって苦痛を受ける人がいるという便りでも聞くと、私の心もとても痛くて残念でした。また、特別に神様が私のそばに付けてくれて、私を助けるようにした人々に対しては、いつも彼らの細かいことまでも調べて、私の方で先に彼らに必要なもので満たしてあげたりしました。たとえミスがあって過ちがあったとしても、私はいつもそれを許して覆ってあげ、彼らがもっと力を出して果たすことができるように、最後まで愛で接してきました。主がご自分に属した人々に対して最後まで愛と善で接したように、アブラムが甥のロトに対していつも気を配って責任を負おうとしたように、私もマンミンという名前で一つになった皆さんをいつも私の心に抱いて祈っています。 


アブラムの私心のない心


さらに本文22-24節を見ると、アブラムがどれほど私心なくきれいな心で戦争に出たかがよく表れています。アブラムが戦争に出て勝利し、奪われたすべての所有物を探して帰ってくる時、ソドムの王がその前に出て「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。」と言うのでした。 これに対してアブラムは、「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが、『アブラムを富ませたのは私だ。』と言わないためだ。ただ若者たちが食べてしまった物と、私といっしょに行った人々の分け前とは別だ。アネルとエシュコルとマムレには、彼らの分け前を取らせるように。」と言ったのです。     


アブラムは戦争の勝利者であり、ソドムの王に大きな恵みを与えた者として、戦争で得た戦利品を取るとしても、これが決して悪の心から始まったわけではありません。さらに、ソドムの王が直接自分からアブラムを迎えに来て「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。」と言ったので、アブラムが戦利品を取るからといって、これが非真理の心ではないということです。それでもアブラムは、自分に入ってくるいかなる私益も取ろうとしませんでした。ある財物に対する欲や私的な利益を求めようとする非真理の心が彼には全くなかったからです。     


また、彼はすべての祝福を父なる神からだけ受けようとしました。人の側で自分の利益を追って富を築いていくのではなく、魂が幸いであるときに、上から父なる神様から与えられる祝福だけで富を築いていったということです。ところが、アブラムがこのようにソドムの王の提案を断ったのは、人の心をあまりにもよく知っていたからです。人の心というものが真理に変化する前には、いつでも自分の利益を追って変わっていくという事をアブラムはよく知っていたのです。つまり、ソドムの王が今すぐにはアブラムに感謝し、嬉しい気持ちですべての物品をアブラムに渡そうとしたが、後で歳月が過ぎれば、その心に財物に対する欲心によって違う話をすることがあるからです。  


例えば、「自分は望んでいなかったが、アブラムが代価を望んだので与えた。」このように話す言葉が出てくるかもしれないということです。アブラムがこのような人の心を知っていながら、どうしてソドムの王の提案を直ちに受け入れることができるでしょうか?「若者たちが食べてしまった物と、私といっしょに行った人々の分け前とは別だ。アネルとエシュコルとマムレには、彼らの分け前を取らせるように。」ただ戦争に動員された若者たちの糧と、自分を助けた同盟軍に返す分け前の他には、どんなものも取らなかったのです。ここで私たちは、自分を助けた人々に対して責任を持って苦労に報いようとするアブラムの配慮する心も、十分に伺い知ることができます。次回は、これまで見てきたアブラムの肉的な祝福とは比較にならないほど、あまりにも大きな霊的な祝福であった神秘の人物、メルキゼデクとの出会いについて見ていきます。    



結論


アブラムは心に少しの私心や欲がなかっただけでなく、人の心までも十分に推し量ることができたので、ある選択をするにあたって常に正しい道を追い、善の知恵を受けました。それで、創世記23章を見ると、アブラハムは後日、妻のサラの埋葬地を求める時も、埋葬地の洞穴をただで渡すというヘテ人の提案をそのまま受け入れたのではなく、あえてそれに該当する相当な値段を払って埋葬地であるマクベラの洞穴を手にしたことが分かります。もしアブラハムが与える通りに全て受け取ったとすれば、その後に多くの困難を経験したでしょう。これは彼の心に少しの欲もなく、正当でないものを受けようとする心もなかったためであり、またこのように値段を払って確実に自分の所有にすることで、後日その所有に対していかなる是々非々もないようにしようとしたのです。

 

皆さんもこのことをよく知って、すぐにいい提案が入ってきたということで、それを絶対に取るような姿はお控えください。さらに、相手が真理に変化した人でなければ、自分の利益を追っていつでも言葉と行動が変わることがあるということを、常に真理で分別しなければならないのです。また、自分が苦労して頑張った以上を受けようとする、欲の心も捨てなければなりません。常に正当な代価だけを望むべきであり、それから行き過ぎたことはいくら良いことでも、慎んで断るのが当然の道理です。

箴言22:1「名声は多くの富よりも望ましい。愛顧は銀や金にまさる。」という言葉のように、財物よりも名誉を、銀や金よりも愛顧を選ぶべきだということです。そして何よりも、すべての祝福は父なる神様からもたらされるという事を必ず心に留めておいてください。人の知恵と方法で祝福を受けるには、どうしても肉的な限界があり、またそれがいつ消えるか分からないからです。ただ神様から来たものであってこそ、それが永遠のことであり、この地だけでなく天にも祝福で積むことができます。今日お聞きになった御言葉が知恵となり能力になって、常に正道を追いながら善の道を選ぶことができる皆さんになることを願います。そんな時、箴言5:21に「人の道は主の目の前にあり主はその道筋のすべてに心を配っておられる。」という御言葉のように、すべての人生の道を主管する父なる神様が善の道、義人の道を追う皆さんの行く道を、常に守り保障し、祝福に導いていかれますように、主の御名によってお祈りします。

イエス・キリスト日本連合聖潔会
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