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ヨブ記講解77 - 肉の思いは神様のことが理解できない(上)

4 日前
読了時間: 18分

説教:イ・スジン牧師

本文:ヨブ記27:12


愛する皆さん、前回まで3回にわたって真の義について伝えました。ヨブは、自分はこれまで正しく生きてきたし、これからも責められるところがないように自分の義を貫くのだから、自分を責めはしないと言いました。これはヨブが心で正しく生きたいという熱心のあることがわかります。しかしこのような良い点もありますが、実際自分の言っていることと行いが正しくないことには気づかない姿を見るともどかしいでしょう。私たちは自分が見ての義ではなく神様が認めてくださる真の義でなければなりません。ローマ10:2-3に「わたしは彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。」とあります。神様のために熱心に働いても、神様の御心を悟れなければ、自分の義を主張するようになり、それで平和が壊れて神様の真の御心には聞き従えないことがあります。​


大礼拝の時も伝えたのですが、相手が真理でないことを言い張るとしましょう。皆さんが知っている真理と反対のことを主張しながら皆さんが間違っていると相手が言っているのです。すると、柔らかい口調でそうではないと説明するでしょう。しかし相手がそれでも受け入れないで反論すれば、感情的になって互いに言い争うようになることもあるかもしれません。それは神様の義に従う姿ではないのです。ヨブ記講解では言い争ってはならないと繰り返し説明しています。いくら自分が正しいことを言っても一度二度戒めても、相手がそれを受け入れないで反発するなら、その時はそれ以上強く言わないで待ってあげることも必要でしょう。神様はヨブが真の義人になるように練っておられるのですが、ヨブは相変わらず自分の義を主張しているのです。そして友達に教えようとしています。神様の御手について教えよう、全能者のもとにあるものを伝えようと言っています。ヨブはどのように神様の業と御心を教えようとしているのでしょうか?今日の本文を見ながらヨブが主張していることが何か、そして私たちが悟るべき神様の真の御心は何か調べてみます。​


メッセージのタイトルがちょっと長いのですが、今日のメッセージのポイントを必ず覚えていてください。ヨブは自分が考えている神様の御心を伝えようとしているのですが、実際は間違って知っているのです。ヨブは肉の思いを巡らしているのです。だから私たちは、ヨブのように肉の思いを巡らすのではなくて、本当の神様の御心を悟らなければなりません。神様のことを理解するためには肉の思いのままではできないのです。これを覚えていて今日のメッセージを聞きますように。そして神様のことを誤解していたのではないか、自分は神様の働きをしていながら真理を教えている立場で、もしかして肉の思いをしているのではないかを顧みますように。ヨブは友達に神様の御心を教えようと言って、その前に彼らを責めます。​


ヨブ記27:12です。


ああ、なたがたはみな、それを見たのに、なぜ、あなたがたは全くむなしいことを言うのか。(ヨブ記27:12)


ヨブは今までずっと自分は正しいと言っていました。「自分は正しい潔白な人なのに、神様が何の理由もなく自分を苦しめてすべてをなくしてしまい、悪性の腫もつで打って、周りからあざけられ蔑まれるようにした」と言っているのです。そして友達に、あなたたちは私が神様に仕えていた正しい人にもかかわらず、神様は私の子供を殺してすべての財産を取り去って苦しめてきたのを見たのではないか。このすべてを見たのに、あなた方はどうして私に罪を悔い改めなさい。神を求めなさいというのか。あなた方は虚しいことを言っているのだ。」と言っているのです。ヨブは霊である神様を肉的に理解しようとしたから理解できなかったし、悪い神様、独裁者のような恐ろしい神様として誤解しています。皆さん旧約のヨブがそうだったと思わないでください。ヨブは愚かな考え方をしていたのだと思ってはいけません。皆さんに適応してみてください。自分もヨブのような姿はないのか、チェックしなければならないのです。


第1コリント2:13「この賜物について話すには、人の知恵に教えられた言葉を用いず、御霊に教えられた言葉を用います。その御霊の言葉をもって御霊のことを説くのです。」とあります。第1コリント2:15「御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません。」とあります。御霊のことは御霊でわきまえることができます。肉の人は御霊の人を理解できないのです。霊である神様を肉の人がどうして理解できるでしょうか?聖書を読むと肉的な観点では理解できないことがたくさんあります。聖書に記されている神様の御業は、肉の思いでは理解できないこと、信じられないことがたくさんありますね。


例を挙げましょう。神様は何もない無の状態で、言葉で天地万物を創造されました。肉の思いが打ち砕かれている皆さんならこれはこれを信じていますね。疑わないでしょう。しかし世の人は、これが信じられないから教会に通っていないのです。神様の力を伝えて伝道しても、このような天地創造も肉の思いでは理解できないのです。私たちは実際神様の御業を見て体験していてそれを証しているのですが、肉の人はそれを受け入れないで信じないで、でっち上げだとか作り話だと言って疑うのです。事実を言っても信じないのです。肉の思いがいっぱいあるからです。でもそれは世の人だけではなく皆さんにも肉の思いがあるのです。肉の思いがある限り、神様の善と愛を理解することができないということです。ですから早く肉の思いを打ち砕かなければならないのです。


聖書に記されている神様の偉大な御業、エジプトから出た民は、葦の海が分かれて乾いた地を渡りました。エリコの周りを13度回ったら難攻不落の街の城壁が崩れ落ちました。太陽と月がとどまることもありました。肉の思いの多い人がこれを聞くならば信じるでしょうか?科学的に太陽や月がとどまることはありえないと言うでしょう。でも神様の御業ではできるのです。そして太陽がとどまるならこの地球はどうなるのだろうかと、いろいろ科学的なことを言いながらありえないことだと言います。自分が持っている知識と理屈では理解できないのです。でも天地万物を造り司る方は神様だから、いくらでもお出来になるのです。肉の思いを持って聖書を読むと理解できないでしょう。そして神様の一人子イエス様はどうでしたか?聖霊によって胎に宿られました。男性と女性が寝ていないのにどうして人が生まれるのでしょうか?神様の力ではできます。イエス様は水でぶどう酒を作ることもあったし、2匹の魚と5つのパンで5000人以上を食べさせたこともあります。海の上を歩いたこともあるし、死んで4日にもなったラザロを生き返らせることもありました。又、十字架につけられて死なれて3日目によみがえられ、多くの聖徒の見る前で天に挙げられました。


それだけではなく、信じる人は主が再臨なさる時、復活の体に変えられて天に引き上げられるという驚くべきことです。皆さん自分の体重を思えばどうして天に引き上げられるのかと思うかもしれませんが、神の力ではできるのです。どれほど不思議なことでしょうか。これまで言ったことの中で肉的に理解できることがありますか?人の知識で理解できることがありますか?皆さんはもちろん信じていると思います。霊の信仰がない人疑っている人ならば信じられないでしょう。肉の信仰を持っていて肉の思いのある人は、教会には通っていてもこういうのを聞くと信じられないでしょう。霊の世界もわからないし、永遠に生きるという概念も理解できないと思います。肉の思いがある限り理解できないのです。そういう肉の思いを打ち砕くことが神様の恵みです。肉の思いを打ち砕かない限り、人の限界を遥かに超える神様の御業は理解できないのです。


私たちの万民教会の歴史を見てもそうです。1982年開拓以来牧者を通して、神の力の業が数え切れないほど現れました。その中で特別なことは病気が癒される御業です。あらゆる癌など、結核、中風、脳性麻痺、ヘルニア、関節炎、白血病、エイズなど治らない病気、難病が癒されました。海外聖会で、エイズで苦しんで人が癒された事例がたくさんありますね。このような病気によって余命宣告を受けていた人も、神様の御前に来て信仰によって祈りを受けたら癒されました。それだけではなく、悪霊に取り憑かれていた人が完全になり、小児麻痺や交通事故によって障害を持って生きる人も祈りを受けて歩けるようになりました。正常になりました。またひどい火傷を負った人が祈りを受けたら、熱気がすぐ退いて速やかに回復して傷跡も残りませんでした。脳出血や一酸化炭素中毒で意識を失った人が、祈りを受けてすぐ意識が戻って回復しました。すでに呼吸が切れた人が祈りを受けて生き返ることもたくさんあります。5年10年20年以上妊娠できなかった夫婦が、祈りを受けて身ごもって健康な子を産んだことも数多くあります。そして視力や聴力、言語障害の人々が祈りを受けて癒されて神様に栄光を捧げました。


今日いくら医学や科学が発達していても、死んだ神経や破れた鼓膜、生まれつきの盲人また聞こえない人が正常に回復することはありません。しかし神様はどんなことでもおできになる方であり、無から有を創造する方です。また使徒19:12に「パウロの身につけている手拭いや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行った。」とあるように、牧者が祈ってくださった神の力を込められたハンカチを通して、神の力の業が現れています。その他に写真や名前の上に手を当てて祈れば、世界のあちこちで時空間を越えて神の力が現れました。このような御業は皆さんが目で見て聞いて体験していて、今も変わらずに現れています。これは全知全能なる神様がなさったことですが、人の考えや知識、理屈では到底理解できないことでしょう。だから世の人々に伝道してこのような神の力ある御業を説明しても、肉の思いでいっぱいの人は信じられないのです。皆さんはこれを事実として信じているから見て聞いて体験するから、神様が生きておられると伝えるのですが、世の人々は肉の思いがいっぱいあるからそれを信じられないのです。


皆さんの立場ではどうしてこれが信じられないのかと不思議でしょう。だから私たちがこれを信じることができて救われる信仰があるということが、どれほど感謝でしょうか。信じられる確かな証拠を見せたのに信じない人がいるのです。癒されてマガジンでも見たでしょう。自分が癒されたから病院に行って伝道したと、自分が体験したから心が熱くなってそのままじっといられないのです。出て行って伝えるようになります。しかし世の人は信じないでしょう。医学、科学がこんなに発達しているこの時代にそんなことはありえないと言います。治らない病気がどうして癒されるのかと思います。どれほどもどかしいことでしょうか。神様が生きておられる証拠を見せても信じない人がこんなにたくさんいるのです。だから牧者はそのような人々も救うために眠れない夜を過ごしながら神様の前に涙で祈っておられたのです。また聖徒の中でも天国と地獄があることを知っていながらも世に目を向けたり世を愛する人がいるから、もどかしい心で神様に涙で祈っておられました。


だからさらに大きい神の力を見せて体験するようにして、神様を信じるように天国へ導こうとしました。そしてその時は信じないように見えても、後で切羽詰まったり心が貧しくなった時は、前聞いた証が思い浮かぶようになるのです。だから私たちは時が良くても悪くても伝えなければなりません。このように私たちは肉の思いを打ち砕くことができて信じることができるからどれほど感謝でしょうか。信仰が成長して霊的に深く入るためには、持続的に肉の思いを打ち砕かなければなりません。主を信じると言っていても信仰が停滞したり霊的成長ができない人がいるのですが、それは肉の思いによって霊的に悟ることができないからです。


霊的に悟っていないということは、神様そのものを信じないという意味ではありません。神様は信じてはいます。でも肉の思いというものがあるから神様の御心に従えないようにするのです。そして心の中に真理と反対のものがあって、肉があれば肉の思いをするようになって、真理と反対のことに従っていくのです。サタンの仕業に従うようになるのです。例えば誰かを憎んでいるならば、それは肉の思いではありませんか。ここで肉の思いを打ち砕かなくて霊的に悟れないということは信仰が成長できないということです。信仰が停滞していることです。善とか愛とか真理このような神様の御心に従えない、真理と反対のことから出てくる肉の思いによることです。誰かが自分を憎んでいるという話を聞いたら、イラッとなったりイライラしたりするそういうのが肉の思いなのです。愛しなさい、仕えなさい、許しなさいという聖霊の声が聞けないし従えないのです。本文でヨブも神様を自分の立場で、肉の思いをもって考えて見ているから誤解しているのです。神様は自分をこのように苦しめているのだ、自分に辛い思いをさせているのだ、自分は何も悪くないのに神様はひどいことをしているんだと思っていて、そしてこんな私を責めている友達も悪いと思っていて、そして悪い友達をなぜ神様は懲らしめないのかと不満を抱いているのです。だから神様の心も善も理解できないまま神様が悪いと裁いているのです。このように肉の思いでは神様のことを理解することもできないのです。


肉の思いでは神様の心も理解できないし、神様の善と心も悟れないのです。神様のことを神様に関することを、神様の心や善と愛も理解できないのです。だから神様に愛されたいなら神様に用いられたいならば、肉の思いを打ち砕いて、神様のことを理解して従えるようにしなければなりません。肉の思いがあれば神様の御業を体験することができません。神様の力の業とか印とか不思議また癒されることとか答え受けることもできないのです。肉の思いを打ち砕かないまま心の中に真理と反対のものがいっぱいあるからです。そんな状態では祈っても答えを受けることができません。


初心のものならば、神様はその初心の信仰に合わせて答えてくださるのですが、ある程度信仰がある人ならば、肉の思いがあるままでは祈っても答えを受けることはできないのです。真理と反対のことをいつも考えているからです。イエス様の時代にも心は良い人だったのですが、肉の思いがあって霊的な御言葉を聞いたら理解できなかった人がいました。それはイエス様のところに来たニコデモでした。ニコデモは肉的には優れた知識があったのですが、イエス様に出会う前は霊的に新しく生まれることの意味がわからなかったのです。彼はユダヤ人の指導者であり、真理に対して飢え渇いて真の信仰を持つためにイエス様のところに来ました。だから心の良い人だったのですね。イエス様のことを聞いてイエス様に会いたいと思って、そしてこのような御業が現れる方ならば神様からの人だと心の中で認めていました。それでイエス様のところに行ったのです。


その時代のユダヤ人たちはイエス様を憎んで妬んで迫害していたのですが、ニコデモはユダヤ人の指導者ですが心が良い人だったから、イエス様を認めてイエス様のところに来ました。周りの人々はイエス様の悪い噂を言ったかもしれませんがイエス様のなさっていることを聞いたら、その方は神様の人だとニコデモは分かりました。イエス様はその心を知ってこう言われました。人は新しく生まれなければ神の国を見ることはできません。ところでニコデモはこの言葉が理解できませんでした。人がどうして新しく生まれることができるだろうかと思いました。霊的な言葉を肉的に理解しようとしたら悟れなかったのです。それでこう言いました。人は老年になっていてどのようにして生まれることができるのですか?もう一度母の胎に入って生まれることができましょうかともう一度イエス様に伺いました。


私は子供の時聖書を読みながら、このニコデモがもう一度質問したことが不思議でした。理解できなかったのです。なぜなら私は新しく生まれることについて既に知っていたから。自分なりに新しく生まれることは聖霊によるもので、聖霊によって霊が生き返ることだとすでに自分は知っていたからです。ニコデモが母の胎にもう一度入って生まれることをなぜ聞くんだろうと思いました。私はニコデモがこのように疑問を持つことが疑問だったのです。すでにそのような霊的な知識を持っていたからですね。このようなニコデモの質問にイエス様はもう一度説明してくださいました。人は水と御霊によって生まれなければ神の国に入ることができません。肉によって生まれたものは肉です。水と御霊によって生まれたものは霊です。あなた方は新しく生まれなければならないと私が言ったことを不思議に思ってはなりません。これは人が天国に入るためには霊が生き返るべきだという意味ですね。


最初の人アダムは神様がくださった霊が生きていたのですが、罪を犯して霊が死んでしまいました。アダムの子孫も霊が死んだ状態で肉の人として生まれるから天国に行けないのです。ですから誰でも天国に入るためには死んでいた霊が生き返らなければなりません。そのためには水と御霊によって新しく生まれなければならないのです。イエス様はこれを説明してくださいましたが、ニコデモはその意味が理解できなかったのです。イエス様は続いてこう言われました。風はその思いのままに吹きあなたはその音を聞くがそれがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれるものはみんなその通りです。私たちが風を見ることができないしその方向が予測できないように、霊の世界のことは神様の御業と聖霊の力で分かるし体験できるのです。この御言葉を聞いて変えられたニコデモは後でどうなりましたか?イエス様を殺そうとするパリサイ人の前で大胆にイエス様のことを弁護しました。イエス様が十字架につけられて死なれた時は、没薬と香油を持ってきて埋葬のために用意もしました。これは彼がイエス様の言葉を聞いて霊的に悟ってまことの価値を悟ったからでしょう。


私たちも御言葉を霊的に悟って霊の糧にするためには、さらに火のように祈って肉の思いを打ち砕いて聖霊に満たされていなければならないのです。エジプトから出たイスラエルの歴史を見ても、肉の思いと御霊による思いの違いとその結果が違うことが分かります。イスラエルの民はカナンに向かっていく旅路の途中、飲む水がなくなって食べるものがなくなったら神様につぶやきました。モーセに立ち向かって金の像を作って偶像を礼拝したり、神様がくださったカナンの地を信仰で見ることができず悪く言いました。その結果、出エジプト第一世代はヨシュアとカレブを除いては皆荒野で死にました。肉の思いを持って考えてみたから、祝福は目の前にあるのに自分のものになれなかったのです。肉の思いを打ち砕いて、霊的に告白して信仰で告白してこそ、その祝福が自分のものになるのです。今私たちにくださったこの時間も神様がくださった機会でしょう。新しいエルサレムに行けるチャンスです。このような時に御霊によって思う人は、さらに心が熱くなって信仰が成長するし喜びと感動が溢れていると思います。


しかしみなさんの中でも心があまり熱くならないし、新しいエルサレムへの希望がないか、大きくない人がいますか?心を一つにして神様がくださっている恵みのこの機会を掴んでいかなければなりません。神様が見せてくださる驚くべき御業を見ながらも、どうして心が熱くならないのでしょうか?そして神様がくださったお言葉がどうして実現できないのかと思いますか?いいえ神様の御心は人の思いとは違います。神様の思いは人の思いとは天と地の違いのように違います。ですから神様の御心を信じて心を開いて、自分の考えを捨てて聖霊の声を聞こうとしなければなりません。自分の考えとか、ああだこうだとか肉の思いを巡らしてはいけないのです。私たちは聖霊に満たされて幸せな心で新しいエルサレムに行くべきでしょう。しかしそうしないで、相変わらず理解できないとか納得できないとか、どうしてこんなことが起きたのかとか、どうして牧者が先に行かれたのか、まだ納得できない方がいますか?皆さん神様が今皆さんに何を望んでおられるのかをもう一度考えてみますように。


喜んで感謝しながら幸せな心で新しいエルサレムに向かって熱く走ることを望んでおられるでしょう。肉の思いをめぐらしてはいけません。人は聞くことによって影響を受けます。そしていろいろ自分の中で考えることによってさらに誤解を生んだりするのです。サタンの声を聞いてはいけません。サタンが肉の思いに働いて信じないように、また余計なことを考えるように疑うようにするのです。神様から反対に行くようにするのです。それに聞き従ってはいけません。ヨシュアとカレブだけが、出エジプト第二世代と一緒に神様の約束を信じて聞き従って、乳と蜜が流れるカナンの地に入れました。出エジプト第二世代は子供の時から神様の御言葉で養われて、多くの神の力、業を見て信仰を持っていました。また彼らの親の世代が、なぜカナンの地に入れないまま40年間荒野で苦しみを受け死んだのか心に刻んでいました。ですから神様を信じなかった親の世代とは違って、第2世代はヨシュアに聞き従っていきました。


そして実際に信仰の行いを見せました。イスラエルの民がカナンの地を征服する前、神様はエリコという街を6日間1日に1度、最後の7日目は7度回ってときの声を上げなさいと言われました。人の思いではその街の周りを回るからといって城壁が崩れ落ちることは考えられなかったし、無防備の状態では危険だったでしょう。しかしイスラエルの民は一人も不平を言わないでヨシュアの言葉に従いました。完全に聞き従って7日間13度を回った時、神様の方法で城壁が崩れ落ちてその街を占領することができました。このように肉の思いを打ち砕いて御言葉に従う時、神様の驚くべき御業を見るようになります。しかしこのようなことは肉の思いは理解できないし信じられないのです。だから従えないのです。ただ聖霊によって御霊に従う時、神様の心を理解できるし神の国を見ることができるし神の力を体験することができるのです。(つづく)

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