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ヨブ記講解71 - 霊の声(下)

9月16日
読了時間: 16分

説教:イ・スジン牧師

本文:ヨブ記26:7-8


ヨブ記26:7です。


神は北を虚空に張り、地を何もない上に掛けられる。(ヨブ記26:7)


東や西、南もありますが、なぜヨブは北の空を言っているのでしょうか。ヨブが東西南北の空を見てみたら、特に北の方は、自分では分からない未知の世界のように感じられたからです。北の空にある北極星や北斗七星は、一番明るく輝く星です。この中で北極星は位置が変わらないので、昔の人々は夜道を歩いたり、航海をするとき、北極星を基準にして方向を確認しました。今日も多くの人が、夜星を見るとき北の方を見るのは、明るく輝く北極星や北斗七星を探すためです。ヨブも星が明るく輝く北の空を見る時、神秘的だと思いそれを張ってくださった神様を思いました。そして一方では、冷たい北風が吹いてくるのも北だから、北はなぜか暗く恐ろしい感じもします。また人間的な考えでは、空の終わりがあると思い、果てもあると思うのですが、その終わりが見えないから、また無数の星だけが見えるから恐ろしさを感じます。ヨブは自分がわからない未知の世界と、空を張ってくださった神様の力を、神は北を虚空に張りと説明しています。​


そして7節の後半節「地を何もない上に掛けられる。」とあります。これはとても科学的でありながら詩的な表現です。ヨブは自分が踏んで立っている地の果てと、空がつながっているところを考えてみました。皆さんも旅行してみれば、水平線と空がつながっているように見えますね。でも私たちは科学を学んだから、地の果てがあったり、空がその地の果てとつながっているとは思わないのですね。でもヨブはそれを見ながら、地と空、海がつながっているようだけれど、実はそうでないということを感じていました。気づいていました。それで地を何もない上に掛けられると表現しています。つまりヨブは、地球が宇宙空間に浮いているということを、神は北を虚空に張り、地を何もない上に掛けられると表現しているのです。今日は、地球が平らではなく球体をしていることを、科学が証明しています。したがって私たちは、地の果てや空とつながっているところが、実際は存在していないことをよく知っています。ヨブもこのようなことを悟っていたのですが、当時は科学的な知識がないから、自分なりの表現で地を何もない上に掛けられると言っています。​


17世紀のイギリスの物理学者、ニュートンの万有引力の法則が発表される前は、人々は、地球が天体の間に作用する重力という見えない力によって浮いているということは、理解できませんでした。地球が平らだと信じていたし、地と空だけが存在すると思いました。それで海を最後まで航海していけば結局は絶壁があって、その下に落ちて死ぬと考えていました。また古代人たちは、地球を巨大な巨人や亀、象が背中で支えていると考えていたそうです。皆さん、子供の時、科学の授業で、地球が平らだと昔の人々はそのように想像していたという説明がありますね。それで海の終わりは絶壁だというふうに、昔の人々が描いた絵が出たりするのですね。地球が何か物体の上に置いてあるのではなく、宙に浮いているということは想像できなかったのです。しかし今日は人工衛星などが撮った写真を見れば、丸い地球が宇宙に浮いていることを誰でも知っています。太陽の引力によって地球は自転と公転をしながらも、一定の軌道から外れないのです。そして、今日、科学が明かしているように、太陽系をはじめ宇宙の星は、広い宇宙空間の中で正確な秩序によって動いています。​


星はロープで結んでおいたのでもないし、互いにつながっているのでもないのに、自分の位置を正確に守っています。これは星の間に重力や遠心力などが作用するからです。創造主の神様が宇宙万物に込められた力によって、私たちが住んでいるこの地球も太陽系という空間、さらに銀河系と宇宙空間に掛けられているように浮いているのです。それが神様の力によって動いているのです。ですから、科学が発達して、人々が宇宙についていろいろ研究していくほど、創造主の神様の偉大さをさらに感じるようになります。どうして偶然このような星が造られて、このように正確な位置を守りながら動いているのでしょうか。お一人の創造主である神様のご計画によって、全てが司られているのです。それでは、今から数千年前に住んでいたヨブは、どうしてこういう事実を知ることができたでしょうか? 17世紀に入って、ニュートンの万有引力の法則が発表されてこそ、人々は分かったのですが、ヨブは旧約時代に生きた人物なのに、どうして宇宙空間に地球が浮いていることを分かって、このように表現することができたのでしょうか?​


ヨブは正しい良心を持って潔白な生き方をしていたから、自然の理について深く悟ることができました。人は神様が命の息を吹き込んでくださって、神様の力が込められた霊が与えられました。それで人にはそのような霊があり、神様がくださった命の種があるのです。でもそれは、人が罪を犯した後活動できなくなり、死んでいるような状態になってしまいました。命の種が活動していなくても、神様が私たちを創造してくださった時くださった知恵があり、力が人にはあるのです。その中でもとびきり優れている人々がいます。それで心が聖くて正しい人は、その霊の声を聞いて霊感を受ける人もいました。このような人々は自然の理について深い気づきがありました。それで電波を発見したり電気を発明するなど、科学文明を発展させたり、深い芸術の境地に至ったりしました。それだけではなく先見の明があって、先に起こること、未来について予言もしたりしました。


韓国ではセジョン大王もハングルを作ったり、イ・スンシン将軍も外国の侵略を予知して、鉄甲船を造りました。イ・スンシン将軍も創造主、天にいる神を認めていました。そして映画の表現ですが、夢の中でその鉄甲船を造る方法とか、戦争で勝てる方法を示されたりすることがありました。その心が正しかったし、また、国と民を愛する心が優れていたから、また天に向かって祈っていたから、神様がそのような霊感をくださったでしょう。私たちは真理にあって、このように聖霊の声を聞いたり御霊に感じるうちに、このように深く悟る、こういう体験もあるし知っているから、そういうことが理解できると思います。このように昔の人々の中でも、心の良い人、正しい人、また天に向かって創造主の神様を認めて祈っていた人々は、そのような霊感のある人もいたし、自然の理について深い気づきがありました。神様のそのような働きもあったのです。人々が生きている間で、いろんな歴史の中で、神様がそのように助けてくださったことがありました。朝鮮時代の学者のイーという人もそうでした。外国から侵略してくることを予見して、それに備えるために、10万の兵士を養成することを提案したりしました。


今日は聖霊時代だから、私たちが御霊に感じているうちに霊的に深く悟って、聖霊の声を聞いて、神様の心を理解することができます。皆さんも家庭の中で、仕事をする時も、学校でも、このような聖霊の声を聞いて、相手の心を理解することができます。嫌味を言ったり、わがままを言う人もいるのですが、でもその人の事情とか性格を理解することができます。聖霊がそのように教えてくださるからです。そうすれば全ての人と平和を追い求めて、周りの人に認められるし、また人と平和を作っているから、神様が知恵をくださるから、全てのことにおいて栄えることができるのです。日常生活でこのように聖霊に導かれ働きかけられなければなりません。そのようにいけば聖霊様が助けてくださいます。聖霊様は私たちを一番良い道に導いてくださり、先に起こることも示してくださって、神の子供たちが困難に合わないように守ってくださいます。第1コリント2:10「神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。」とあります。しかしもどかしいことは、今ヨブが「神は北を虚空に張り、地を何もない上に掛けられる。」と神様の力について表現していることは、神様を高めるためではありません。ヨブがこのように言っている意図は、神様にはそれだけの驚くべき力があるのに、悪い人々を守って祝福していると言って皮肉を言っているのです。


そして友達にも、これを知らないあなた方も愚かだとあざけているのです。皆さんこのメッセージを聞きながら、自分の心を顧みられますように。ひょっとしてヨブのようにひねくれた心があるなら、速やかに捨てますように。ぐちゃぐちゃになった服もアイロンで熱い熱を加えれば、伸ばすことができます。いくらひねくれた心でも、聖霊の火を受けて聖霊に満たされれば、まっすぐになれます。知恵がある人でも心がひねくれていると、自分が持っている知恵も何の役にも立たないのです。今ヨブのように自然の理を深く悟っていて、自分なりに詩的に表現しているのですが、でもその意図は良くないのではありませんか?どれ程もどかしいことでしょう。皆さんももしかして、自分の心の中で神様について考えることとか、人間関係においても心がひねくれていては、神様の恵みと力を受けることもできないし、自分が持っている知恵とか、経験とか、知識も間違って使うようになるかもしれません。


また「神は北を虚空に張り、地を何もない上に掛けられる。」といったヨブの言葉から、私たちはもう一つ悟ることができます。今日とは違って科学的な説明が全然なかった時の数千年前に、すでに地球が創造主の神様の力によって宙に浮いているということが、このようにヨブ記に記されているということです。これは聖書が人の頭から出た抽象的とか道徳的な経典ではなく、生きておられる創造主の神様の御言葉であることを立証しています。旧約はイスラエルの歴史だとだけ思ってはいけません。聖書には神様の創造の御業、人間耕作の摂理が書いてあるし、神様の心が込められています。今ヨブがこのように言っているのですが、これを通して、神様の創造の偉大さを悟ることができます。科学的に明らかになったのは最近ですが、しかし数千年前の旧約聖書にこのように書いてあるのです。


第2テモテ3:16に「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」とあります。ですから皆さん、神様の御言葉によって変えられて、神様を恐れかしこみ、知恵の始めである神様の力によって強くされれば、いくらでもできます。私には知恵もないし、学識もないしと思う必要はありません。世の人はどう言いますか?人と自分を比べるのです。それで親に恵まれた人を見ながら、羨ましいと思ったり妬んだりします。自分が生まれた家や親を恨んだりします。しかし私たちはそんな風に考える必要がありません。聖書があり御言葉があり神様の力があるし、神の子供としてどんなことでもできるし栄えることができます。続く本文を見ると、ヨブは空から降る雨について説明しています。


ヨブ記26:8です。


神は水を濃い雲の中に包まれるが、その下の雲は裂けない。(ヨブ記26:8)


これはヨブが自分の思い込みで、間違った解釈をしている内容です。まるで水と雲が別々にあって、雲がその水を包んで支えているように言っているのです。ヨブが考えるには、空には泉があって、その泉が雲に包まれて見えないし、その泉にある水が雨になって地に降ってくるけれど、これからもずっと降ってくるだろうと思います。ヨブがこのように、濃い雲の中に水がいつも包まれているけれど、その雲が裂けないのが不思議だと思っているのです。ヨブは自分が何か大した発見をしたかのように言っているのですが、これは科学的にはあっていません。私たちが後で調べてみる32章からは、ヨブの知り合いのエリフという人が登場します。


ヨブ記36:27-28です。「神は水のしずくを引き上げ、それが神の霧となって雨をしたたらせる。雨雲がこれを降らせ、人の上に豊かに注ぐ。」とあります。これは科学的に合っている内容です。地球全体的に考えてみれば、太陽熱は1秒で数億リットルの水を蒸発させるそうです。太陽の光が1秒で数億リットルの水を蒸発させるそうです。このように蒸発した水蒸気は空に上がって雲を形成します。風と気流はこの雲を移動させて雨や雪として地面に降らせます。このようなことをエリフは科学的に正しく説明しています。


でもヨブは間違った解釈を言っていますね。自分の肉の思いで雲と雨について説明しています。その前ヨブは自然の理に気づいて、地球が宇宙に浮いていることについては説明を賢くしたのですが、でもここでは自分の思い込みによって考えて、雨については全然違うこと、とんでもないことを言っているのです。空に泉があって、その泉から水が雨となって降るけれども、雲に包まれているその雲が裂けないのが不思議と言っています。これは全然科学的ではないのですね。このようにヨブは、その話が合ったり合わなかったりするのです。人間的な考えとか知恵とか判断は、合わないことがたくさんあるし、これによってとんでもない結果をもたらすこともあります。


敵である悪魔は自分の知恵が最高だと思いました。神様が人類を救う人を備えておかれたから、その人が現れたら殺してしまえば救い主として役割ができないから、人は永遠に自分のものになるだろうと計算しました。それで悪い人々を操ってイエス様を十字架につけて死なせれば、アダムからもらった権力、任された権力を永遠に味わえると思いました。でもここに神様の知恵がありました。イエス様を殺すことによって、敵である悪魔サタンは、かえって自分の策略にはめられて、神様の摂理のための道具として使われました。ローマ6:23の「罪から来る報酬は死」という霊の世界の法則によると、死という刑罰は罪人にあたります。しかしイエス様には、原罪も自分で犯した罪もないから、殺される理由がありません。でも悪魔はイエス様を殺して霊の世界の法を犯したのです。敵である悪魔がイエス様を殺すように人々を操りましたね。そうやって霊の世界の法則を犯してしまったのです。


このように敵である悪魔は、その代価として自分の権力、つまり人を死に引いていく力を手放すしかなかったのです。神様の知恵は敵である悪魔の知恵よりはるかに高いから、神様の罠に敵である悪魔がかかったのです。今日神様はどこにいるのかと言いながら、自分の知恵が最高のように思っている人々も同じです。彼らは自分がどこから来てどこに帰るのか、何のために生きているのかも知らないまま、ただ食べて飲んで楽しんで、結局一握りの土に帰ります。しかしそれで終わりではありません。彼らの魂は永遠の地獄に落ちるようになるから、自分で賢いと思いながら、この地上で積んで楽しんでいたことがどれほど愚かで虚しいでしょうか。


また世には、自分自身を信じて生きている人もいます。しかし生きていると、人の力だけでは解決できないいろんな問題がたくさんあります。科学や医学が発達したとはいえ、未だに台風、地震、津波などの天災事変や、新型の病気の前ではお手上げなのです。私たちが神様の前に自分を謙遜に低くして、いろんな問題を神様の前に委ねれば、詩編27:1に「主は、私の光、私の救い、誰を私は恐れよう。主は私のいのちのとりで、だれを私はこわがろう。」といったダビデの告白が私たちの告白になるでしょう。世の人々は、自分の知恵、自分のお金、自分の権力が最高だと思って、それをもっと手に入れようとしますが、でも人には終わりがあるし裁きがあります。また人の力で科学の力でもできない問題があります。しかし皆さんは、創造者の神様の前に委ねて、神様により頼むと神様が解決してくださるのです。


自分なりに伝道したのに、ある人々は神様を受け入れない場合があります。でも私たちはもっと伝道しなければならないのです。そして自分なりに信仰で行っているつもりでも、神様に完全に全面的により頼めない姿もあるかもしれないのですが、神様を100%信じなければなりません。しかし他の人を見ながら、あの人は知恵がないと思ったり、どうして神様に頼らないのかとそのように思ってもいけません。いつも神様の前に低くなって、自分は何者でもありませんと告白しなければなりません。そして自分より劣っているような人を見ながら、ああだこうだと評価してもいけないのです。私たちはただ神様を認めて、神様が望んでおられる善と信仰に従っていてこそ、神様の恵みを受けることができます。


第二コリント10:5に「私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ、」とあります。自分が正しいと思っている知識が神様の御言葉に合わないときは、打ち砕かなければなりません。人が持っているほとんどの知識は、敵である悪魔が支配する世から出てきたものだから、神様の御言葉に一致しないのです。ですから、皆さんは、自分の考え、自分の判断、自分の感情、自分の推測、自分の知恵を捨てて、すべてのことで神様の知恵と力により頼み、さらに価値ある生き方ができますように。


結論です。ヨブは正しい良心があり、自然の理に気づいて、地球が宇宙空間に浮いていることを悟ることができました。しかしまだ完全な心ではなかったので、雨が降る現象については、自分の考えの中で間違った説明をしていました。私たちも日常生活で、自分の考えや自分の知恵を優先しているのではないか顧みますように。自分の経験や自分の考えの限界の中で作った自分の義と枠は、ほとんど神様の御心とは合っていません。それなのに、自分が見て確かにこれが善なのに、これが正しいのにと思いながら、自分の主張を曲げないなら、平和が壊れて結局、神様の心から外れることもあります。ですから神の子供の私たちは、聖霊の声を聞いて働きかけられることがとても大切です。旧約時代には神の霊が人々の外部から働いて告げてくださったのですが、新約時代には聖霊が人の心の中におられ、示して働いてくださいます。ローマ8:14に「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子供です。」とあります。神の子供たちが、神様と霊的に交わりながら啓示されることは、当然のことです。


私たちが心の悪を捨てて聖められていくほど、さらに明らかに聖霊の御業を体験できます。罪と悪を捨てて光の中を歩み聖められた分、さらに明らかに聖霊に導かれ天から知恵をいただけます。反対に悪がある分、聖霊がくださる知恵を悟ることができないし、聖霊の働きに聞き従うことができないから、栄える道に行けないのです。例えば、犠牲になって低くなることが真の知恵だと聖霊が御声で教えてくださっても、悪があれば自分の利益を求めようとします。低くなって仕えて、天国で大きいものになる道を教えてくださっても、自分の自尊心を優先します。でもいくら知恵ある人でも神様の知恵には及びません。私たちが何をしても、自分の知恵にこだわらないで神様の心に従っていくとき、最高の実を得ることができます。ですから皆さんは悪をどんな悪でも避けて心を善に満たして、聖霊の声を明らかに聞いて従いますように。箴言3:5に「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。」とある通りに、神様の前で謙遜に自分を低くして、神様の知恵と力により頼みますように。それで皆さんが美しい良い実を祝福として結びますように。


メッセージを思い出して一緒に祈りましょう。父なる神様、今日ヨブは自分なりに悟ったことをもとにして、科学的な詩的な表現をしたりもしました。でもそれは神様の力を褒めたたえるためではなく、神様を問い詰めるための良くない意図がありました。そしてどうして千年前にそのように深い悟りができたのかも聞いてみました。私たちもさらに聖霊の声を聞いて、神様から知恵を受けて聖霊に動かされて神様が教えてくださることによって栄える道に行くようにしてください。それで心を善に満たして聖霊の声を聞いて、どこに行っても愛されて褒められ認められるようにしてください。感謝してイエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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