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ヨブ記講解52 - 悪者と神を敬わない者の結果(1-下)

9月14日
読了時間: 17分

説教:イ・スジン牧師

本文:ヨブ記20:6~11

続く本文を読むとツォファルはヨブ記20:6-7で言っています。


「たとい彼の高ぶりが天まで上り、その頭が雲まで及んでも、彼は自分の糞のようにとこしに滅びる。彼を見たことのある者たちは言う。彼はどこにいるのかと。」(ヨブ20:6-7)


​たとえ彼の高ぶりが天まで上りその頭が雲まで及んでもと言っています。これは悪者と神を敬わない者の権力と栄華が世に現れて、名が輝くことを言っています。それでその高ぶりが天まで上る。このように表現を使うのですね。悪者と神を敬わない者の権力また栄華が、そのように高いと言っているのです。しかし彼らの権力と栄華がいくら輝いても、結局は醜くて臭くなる糞のように排泄物のように、何の使い道もなくなるということです。悪を積む人の結果は排泄物よりも劣って、はずかしめられ見捨てられ永遠に滅びて消え去るから、以前彼を知っていた人々も彼はどこにいるのかと、聞くようになるだろうと言っています。​


これは彼の功績が全部なくなって、彼の良いところを忘れられたからです。また彼を思い出すならば、その悪行だけが残って思い浮かぶから、いつまでも非難されるという意味です。今ツォファルは悪者と神を敬わない者の結果はどうなるのかを説明しています。これはツォファルがヨブに皮肉を言っていることですが、実際ヨブは悪者でもないし神を敬わない者でもないから妥当性のない言葉です。ツォファルは今、唯自分の考えの中で悪意を持って人をけなしているのです。このように人の負の感情や悪から出てくる言葉は、相手に罪がなくてもあるかのようにしたてて、良い人も悪い人のようにみなすことがあります。人は自分の考えは正しいと思います。また自分の思い込みで人を裁いたり罪に定めたりします。​


ヨブが過去には成功もしていて財産もあって善も行っていました。しかし今の現実を見てみるとどうでしょうか?病気になって全てが滅びてしまったのです。だから今現実を見ながらツォファルは、ヨブは悪者だから神を敬わない者だからこうなったこういう結果になったと思っているのですが、それは自分の考えに過ぎないのです。これを今説明しているのです。皆さんもそういう姿はないのか顧みますように。自分は自分の考えを基準にして人を見て決めつけているのではないか、自分の肉の思いを巡らして、間違っていろいろ自分なりに判断しているのではないか、顧みますように。しかしそれは賢いのではありません。私たちが判断する基準は、神様の真理の御言葉でなくてはなりません。​


箴言17:15「悪者を正しいと認め、正しい者を悪いとする、この二つを、主は忌みきらう。」とあります。ですから私たちは悪と負の感情を捨てて、むやみに人をさばいたり罪に定めたりしてはいけないのです。事実を確認する必要があるときは伝える人の言葉ではなくて、真理を基準にして見分けなければなりません。人の話だけを聞いてそうなんだとすぐ信じ込んでしまってもいけないでしょう。その人が悪意を持って偽りを言うかもしれません。そして悪い話を伝える人の話には耳を傾けない方がいいでしょう。それは自分に霊的に何の益にならないからです。色んな情報を聞いてこそ正確に分別できると思いますか?そして色々儲ける情報が欲しいと思いますか?それで人の話を聞いて投資をしたりして、本当にそれで成功しますか?それでもうけますか?そうではないでしょう。​


そして誰かが人の噂話をしたりするならば、それを聞かない方がいいのです。いくら事実を言っているとその人は言っていても、その人の悪い意図がその中に込められているかもしれません。今ヨブの友達は目に見えるヨブの現実を見てヨブを非難しています。しかし神様はそうしてはいけないと言われているのです。今ヨブの現実がこのように悲惨でも、でも神様は人が見るのとは違うと言われているのです。ヨブは悪いものだからとか神を敬わないものだから、今このようなみじめな現実に置かれているのではないのです。神様はヨブを愛してヨブがもっと霊的に祝福されるために、そのように練っておられるのです。それを知らないまま人の目で見える現実を見て、悪者扱いをしたり非難することがあってはいけないのです。​


続く本文も同じ流れです。ヨブ記20:8-9です。


「彼は夢のように飛び去り、だれにも彼は見つけられない。彼は夜の幻のように追い払われ、彼を見慣れていた目は再び彼を見ず、彼のいた所はもはや彼を認めない。」(ヨブ20:8-9)


日常のうたかたの夢をつまり一時だけの短い春の夜に見る夢という言葉があります。つまり人生の栄華は極めて儚く消えてしまうものだという意味です。貧しい人が夢の中では金持ちになったり贅沢したり食べたいものも食べて行きたい所も行く、そのような夢を見ることはあるでしょう。夢の中でもこのように、自分が欲しいものが手に入ることがあるかもしれません。それで夢の中でも本当に嬉しかったのです。でも夢から覚めたらどうでしょう。どれほど虚しいでしょうか。もっと現実に絶望するのではありませんか。ツォファルは悪者と神を敬わないものは一時的に富や栄華を味わっても、結局は虚しい夢のように消え去ると言っています。


つまりヨブが自分に過去にはこんな栄誉があったのに富があったのにと思いながら虚しいと思って、夢の中にいたかのように感じて後悔している姿をツォファルは見たから、今ヨブの状況を皮肉っているのです。ツォファルは彼は夜の幻のように追い払われ、彼を見慣れていた者は再び彼を見ず、彼のいたところはもはや彼を認めないと言っています。つまりヨブあなたは悪者で神を敬わない者だから、あなたが座っていた富も栄華も虚しい現象のように、幻のように消えるだろう。あなたを知っていた人も、再びあなたを見ることはない。あなたが住んでいた家までも奪われるだろうと言っています。友達に向かってこの様に恐ろしい呪いの言葉を口にしているから、神様がご覧になる時どれほど大きい悪でしょうか。


だからこう言われているヨブはどれほど精神的に苦しかったでしょうか。ヨブは自分が自分を見るには悪者でもないし、神を敬わない者でもないし自分は正しいと思っているのに、友達がずっと悪者だと罪に定めているから苦しくて悔しかったのです。今ツォファルがヨブに言っている言葉は悪者と神を敬わない者にあたる言葉です。人があらゆる手段や方法を選ばないで富、栄華を追っていってすべてのものが崩れてなくなり、幻のように消えてしまうならどれほど虚しいでしょうか。仮に世の富を手にいれたとしても、死んだらそれまで積んだものが何の役に立つでしょうか。たとえ貧しく生きても、イエス・キリストを受け入れて救われて天国に行く信仰を持った人が、本当の豊かな人でしょう。


箴言28:6に「貧しくても、誠実に歩む者は、富んでいても、曲がった道を歩む者にまさる。」とあり、箴言17:1に「一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。」とあります。たとえ貧しくて狭い家に住んでいても、家族が主にあって平和ならそれは幸せでしょう。反対にいくら立派な広い家に住んでいても家族の間で愛がなければ、心に平安がないし幸せだと言えません。ルカ17:21に「『そらここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中であるのです。」とあるように、どんな環境に置かれても、自分の心に善と真理が満たされているなら、いつも天国を感じているから平安で幸せなのです。


今ツォファルはヨブに、あなたはこのように悪者だから神を敬わないものだから、あなたはこのような惨めな目にあっているのだ。だからあなたが前、味わっていたものは全部滅びてしまったと指摘しています。しかしツォファルのその指摘は正しくないし、ツォファルの悪から出たものです。だから私たちはそんなツォファルのような姿でいてはいけない、そして悪者とか神を敬わないものになってもいけないと悟らなければならないでしょう。悪者と神を敬わない者が積んだものは全部虚しいもので、その結果は惨めになりそのまま死んだら地獄に行くから、何の役にも立たないものです。


しかしこの地上では貧しくても、イエス・キリストを受け入れて救われて心に天国があるなら、それが豊かな人でそれが幸せでしょう。だからヨブとツォファルまた友達が互いに言い争っていって、彼らの話を聞きながら、私たちはこういうものを悟らなければならないのです。心に善と真理が満たされているなら、それが本当の平安で幸せで、神様がくださる慰めがあるのです。それならいくら試練にあっても勝利することができます。でもヨブはまだそれができなかったのですが、ヨブの姿からそれを教訓にして私たちは、どんな試練に遭っても苦しみにあっても、神様の前に、それが変えられるチャンスだと思いながら、感謝して喜んでいれば良いのです。それで自分の中の悪を捨てていけば、神様が祝福してくださるでしょう。それを信じていけば、どれほど祝福の道でしょうか。メッセージを聞いて、そのようになりますように。


ツォファルはヨブ記20:10で言っています。


「彼の子らは貧民たちにあわれみを請い、彼の手は自分の財産を取り戻さなければならない。」(ヨブ20:10)


ここで貧民たちとは、ただお金がなくて貧しい人を意味するのではありません。名誉、権力など全ての面で比べてみると、相対的に劣っている人を意味します。例えば国で権力と富を味わっていた高官たちが時代が変わったら、以前の部下に助けを求めることがありますね。そのようなものです。歴史を見ても権力者たちが汚職が暴露されて地位から退けられたら、それまで不正に貯めた財産を全部取り戻さなければなりません。そして、前は自分が上だったのに、今は部下たちにいろいろ助けを求めなければならない立場になるのです。それをツォファルは今表現しているのです。


親がそんな風になると子どもたちも顔を上げられないほど恥ずかしく思うようになりますね。このようにツォファルは神を敬わない者の子供たちがみすぼらしくなって、苦しみを受けるようになることを言っているのです。聖書を読むと悪いサウル王やアハブ王の子供たちがどのようになったのかがわかります。サウル王の息子たちはペリシテ人の戦いで敵軍の剣で殺されました。アハブ王の息子の70人は、神様がエフーを通してアハブの家を裁かれるとき、皆殺しにされました。しかし今ツォファルが言っていること、悪者や神を敬わない者は、ヨブがそうだと言っていたのですが、実際ヨブはそうではありませんでした。ヨブは悪者ではなかったのです。彼の行いは潔白で正しいと認められる程でした。だからツォファルが言っているののしりとは、関係ないのです。私たちもそういうことがあるのではありませんか?


人に誤解されることもあるし、そしてやってもいないことをやったと言われたり、ののしられたりすることもあるかもしれませんが、しかし自分がそうでなければ、自分とは関係のない言葉なのです。だからそのため悩んだり腹を立てる理由もないのです。神様の前で自分は正しいことをしているならば、いくら悪い人が誤解してあれこれ非難しても、その言葉は自分と何の関係もないし、悪い人が良い人を裁くことは正しくないのです。だからそれを聞いて、悪い影響を受ける理由はないのです。そうでなければ心が穏やかでないでしょう。でもヨブはそれができませんでした。友達があれこれ指摘したり咎めたり、また自分が悪者のように友達がこのように責め立てているから、ヨブはそれによってストレスを受けて心の平安がなかったのです。でもヨブは悪者でもないし、神を敬わない者でもないのに友達はヨブを悪者扱いしていました。


ヨブ記20:11です。


「彼の骨が若さに満ちても、それも彼とともにちりに横たわる。」(ヨブ20:11)


悪者と神を敬わない者は、結局その骨も前は若者のように丈夫だったとしても、彼が死んだら全ての若さも消えてしまうと言っているのです。歴史を見てみても、ある人は大きい富と栄華をいつまでも保つと思っていたけれど、一瞬で身の上が変わってしまうこともあります。例えば朝鮮王朝の19代王のそばめであったザンギリンという人は、王の寵愛を受けて王子を出産してその後王妃にまでなりました。それでとても高ぶっていました。彼女の権力はずっと続くだろうと思ったのですが、妬みとあらゆる悪行を犯したので、彼女の最後は結局死刑にされてしまったのです。そして朝鮮王朝の10代王であったヨンサンウンは、王位に上った後、権力をふるって放蕩し、多くの人を殺すなど暴政を働いた結果、クーデータによって王位から追い出されてしまいました。このように悪者の結果は非常に惨めだったのです。この他にも歴史を見てみると、欲を持って自分の利益を求めていると、敵である悪魔サタンに操られて、悪を行う人がたくさんいました。世の人が悪を行って、ひどい悪行をしているのを見ると、それは霊的に悪魔サタンに操られているからなのです。


歴史の中にもそのような人物がいるでしょう。自分の魂を悪魔にサタンに売ってしまう人もいるのです。そして自分だけ悪を行うのではなくその結果、多くの罪のない人が血を流すようになって、苦しみと悲しみの歴史が繰り返されたのです。皆さんにももしかしてこのような悪の属性があるのではないか顧みますように。もしそういう心を発見するなら、悔い改めて立ち返る賢い人になりますように。悪は小さく見えてもそのまま放っておけば大きくなってしまいます。また罪は一度二度犯すとそれが三度四度になってしまいます。そしてその罪と悪が自分の中でだんだん大きくなります。罪を犯すことによって自分はもっと悪くなるのです。グレーぐらいの色だった心が、罪を犯して悪を行っていけばだんだん黒に近くなるのです。だんだん濃い黒になっていくのです。


私たちの心もそうです。良心も麻痺してしまいます。だから、悪を悪とも思わないのです。最初はちょっと悪いことをしたら、良心に過酌を感じてすぐ立ち返ったでしょう。そしてこれによって神の裁き、懲らしめが臨んだらどうしようと不安もあるから、恐れてでも悪を行わなかったのです。しかしことさらに罪を犯し続けていくならば、良心が麻痺してしまいます。それで罪を犯して悪を行っておいて平気なのです。だから小さく見えることでもそのまま放っておけばいけないのです。わずかのパン種が粉の塊全体膨らませるように、悪い思いと行いは、徐々に私たちの体も魂も蝕んでいくのです。だから小さく見える悪でもこれくらいはと思って油断してはいけません。


詩編97:10です。「主を愛する者たちよ、悪を憎め。」とあります。徹底的に悪を捨てて受け入れてはならないということです。ですから大小を問わず神様の御言葉に外れた悪は、必ず捨てなければならないのです。私たちが悪はどんな悪でも避けて真理の中にとどまって、善を行っているなら神様が上から祝福してくださり、この地上でも豊かになり天国に入って永遠の命を得るようになります。ところである人は悪い人がもっとうまくいくとか文句を言ったり、羨ましく思ったりします。彼らが今贅沢に暮らしているから成功しているから自慢しているからそれを羨ましく思うのです。彼らが世でうまくいっているからと思うのです。でもどうしてそれを羨ましいと思うのでしょうか?


例えばある人が盗みをしてお金をたくさん貯めたとしたなら、それを羨ましく思う必要はないでしょう。罪と悪によって貯めたお金が何の役に立つでしょうか?皆さんは教会を離れた人が今世の中でうまくいって成功して楽しく生きているように見えるから、その人々をもしかしてうらやましいと思うのでしょうか?そう思ってはいけません。かえって憐れむべきでしょう。そしてある人はあの人は本当に悪いのに何故裁きが臨まないのとか思い、腹を立てる場合もあります。しかし結局悪は滅びるようになることを覚えていて下さい。


仮に誰かが不義な方法で成功したり、大きな利益を得たとしても、それをうらやましく思う必要はありません。もし詐欺をして数億円儲けたとしたら、それがその人になんの益をもたらすでしょうか?益をもたらすと思うのでしょうか?盗まれるのではないか、バレルのではないか、また貧しくなったらどうしようと心配して、いつも不安でしょう。そしてそうやってお金を稼いだ人は、ほとんどは価値あるものに使えないし、快楽に落ちて短時間になくなってしまうのです。それにその人が今向かっている終着駅は地獄だから、いっそ貧しくても正しく生きて天国に行った方が幸いなのです。


ところでツォファルはヨブの身の上をこのような悪者たちに例えているのです。ヨブあなたの悪によって以前の権威も財産もなくなってしまい、若者のようであった勢いもくずれてしまい、塵に横たわるようになるだろうと言っているのです。ヨブの友達はこのように激しい罵りでヨブを追い詰めて傷つけています。ヨブを慰めるどころかもっと苦しめていて、つらい思いをさせています。彼らが自分なりに工夫をして言った言葉ですが、ヨブを悟らせるどころかかえてもっと苦しめて傷つけています。これは神様の御目にとても愚かな言葉で行動です。ではなぜヨブの友達を愚かだというのでしょうか?実はヨブは友達よりずっと心が正しいし、その行いも潔白でした。そして友達はヨブを悪いと指摘する資格がないからです。ヨブは友達と比べてみれば悪者ではありませんでした。ただ神様の方からヨブをご覧になるときは、悪があるから練ってくださっていたのです。


人がヨブをあれこれ悪いという資格はなかったのです。普通の人と比べてヨブは正しかったのです。でも神様の真理、神様が望んでおられる基準に比べてみて、ヨブは悪があって欠けているところがあったから、神様はヨブのために練ってくださっていました。しかしそれを知らない友達はヨブを避難していました。皆さんももしかして人の短所がよく見えますか?まず自分の目の中の梁を探して捨ててこそ、人の目の中の塵も見えるでしょう。マタイ7:3に「また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。」とあります。この御言葉もよく引用していますが、とても大切な御言葉です。人の目の中のちりが見えるならばこの御言葉を思い出して、それ以上見てはいけないでしょう。それ以上人をさばいたり罪を定めることをやめて自分を顧みなければならないのです。そうでなければそれ以上発展がないのです。相変わらず人の目の中のちりを見て指摘しているのです。でも今日のメッセージを聞いて自分を顧みて悔い改めますように。梁のように大きい悪を持っている人が、ちりのように小さい人の過ちを指摘するなら、恥ずかしいことでしょう。


でも神様は光そのものであり、傷もしみも汚れもない方で聖なる方だから、ヨブの過ちを指摘して取り除ける資格があります。ヨブが自分なりに潔白で正しい行いをしていても、完全である神様がヨブをご覧になるときは、直すべきところも捨てるべきところもたくさんありました。ヨブの器をご覧になって、もっと聖くて広い器を造って、もっと祝福をしてあげようとしておられるのです。友達が言っているようにヨブは悪者でもないし、神様を敬わない者でもないのです。神様がヨブを変えさせて、ヨブを通して栄光をお受けになるためにそうされたのです。たっとい宝石であるほど傷一つないように望む細工職人の心のように、神様はヨブを練ってもっと美しい器に造り変えようとされるのです。


でもヨブの友達は自分の悪をもって、ヨブをむやみに裁いて罪に定めて指摘しています。ヨブは今神様の御手の中で練られているのに、ヨブの友達は自分の悪からヨブを侮辱しています。ヨブが試練に遭う前は友達にも徳を施して助けていたのに、今は友達に非難されているからどれほど苦しいでしょうか。でもヨブの方でも友達を善と真理をもって愛と徳をもって、彼らの話を受入れたら良かったでしょう。箴言15:1「柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しいことばは怒りを引き起こす。」とあるように、善と柔和をもって人に対するなら、その憤りを静めるでしょう。


ですから私たちはいつも口の言葉に気をつけなければなりません。その言葉は正しくても、相手が傷ついたり気を落とすならばそれは害になるのです。ですからアドバイスをするときも、ただ相手を悟らせることで終わるのではなくて、愛の心を持って励まし力づけるように助けなければなりません。イエス様はルカ17:1-2に「つまずきが起こるのは避けられない。だが、つまずきを起こさせる者はわざわいだ。この小さい者たちのひとりに、つまずきを与えるようであったら、そんな者は石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれた方がましです。」と言われました。神の子供なら決して自分の言葉や行動によって相手につまずきを与えることがあってはいけません。


聞いたメッセージを思い出して、自分はヨブやヨブの友達の姿はなかったのか顧みますように。一緒に祈りましょう。父なる神様感謝いたします。今日はヨブの友達ツォファルがヨブを悪者扱いをして、ヨブを非難している姿を見ました。しかしそれは自分の心の悪から出てきた言葉でした。そして悪者と神を敬わない者の結果はどうなのかを、聖書の例を挙げて説明しました。これを覚えて自分の中にある悪を全部捨てるようにしてくださり、悪を憎み善と真理を心に満たしていくようにしてください。イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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