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ヨブ記講解50 - 肉の人と御霊の人(下)

9月13日
読了時間: 12分

説教:イ・スジン牧師

本文:ヨブ記19:20~22


続くヨブ記19:20です。


私の骨は皮と肉とにくっついてしまい、私はただ歯の皮だけでのがれた。(ヨブ19:20)


ヨブは皮と骨がくっつくほどとてもやつれて衰弱していました。皆さんがヨブの身になって考えてみてください。ヨブ記7:3「私にはむなしい月々が割り当てられ、苦しみの夜が定められている。」と言っていました。1日2日でもなく数ヶ月も苦しんでいたし、ずっとストレスを受けていたから物を食べても消化できないし、だんだんやつれるしかないでしょう。友達は言葉で攻撃して、妻は自分を見捨てて親戚も離れてしまい、しもべたちもヨブを無視しているから、その寂しさと心の苦痛はどうだったでしょうか。それに全身はひどい皮膚病で、傷口が固まってはまた崩れることを繰り返されていて、血が出て醜くかったのです。ですから全身がやつれて骨が皮にくっついてしまいました。残っているのは歯の皮だけだと言っています。それで話すことはできました。このように惨めな目にあったヨブは友達に次のようにお願いします。


ヨブ記19:21です。


あなたがた、私の友よ。私をあわれめ、私をあわれめ。神の御手が私を打ったからだ。

(ヨブ19:21)


ヨブは友達に神の御手が自分を打ったからこんなに惨めになったから、憐れんでほしいと言っています。ヨブの今の境遇を人間的に考えるととてもかわいそうですが、ヨブが言っていることを聞いてみれば、ヨブを憐れむことができないことがあります。もし、皆さんが試練にあって「先生、神様が私を打ってこの様に苦しめています。私を憐れんでください。」と言うなら私が憐れむでしょうか?もちろん不当に苦しみにあっているならば一緒に悲しんで祈ることはあるでしょう。しかしそうではなくて、自分の罪の為に苦しみをうけているのに、神様が自分を苦しめていると言いながら、神のせいにしているなら憐れむことができないでしょう。自分が人を憎んで、また言い争って苦しめて互いに対立しているのに、ある人のところに行って「私はこんなにその人のせいで辛い思いをしています。憐れんでください。」と言うなら私はどう言えばいいでしょうか?​


それは大変ですねと言いながら慰めることはできないのですね。正確に何が正しいか正しくないかを悟らせなければならないでしょう。人間的に慰めて憐れむからといって問題が解決されるのではありません。命を与えるのは御霊です。真理にあってどうすれば霊的に問題が解決されるのかを悟らせてその道を教えなければなりません。人間的に慰めるよりは相手が神様の御言葉通り行って、まず魂に幸いを得ているように導かなければなりません。​


ところがヨブが友達に自分を憐れんでほしいと言っています。ここでは私たちはヨブが肉の人であることが分かるでしょう。肉の人はこのように慰められたいと思って褒められたいと思い、自分をわかってほしいと思うけれど、そうでなければ不満を抱いて苦しむのです。クリスチャンの中でもそういう場合があります。聖徒が主のしもべのところに行って相談するとき、真理で答えを教えるのにその人はすっきりしないのです。真理は許しなさい、理解しなさい、祈りなさいですね。でもその答えが気に入らないのです。だから自分と親しい人のところに行って、あれこれ愚痴を言って慰めてもらいたいと思うのです。​


それは霊的には何の益にもならないことなのにそうするのです。自分が試練にあって今は辛いから寂しいから、だから主のしもべのところに行って霊的な答えを受けようとしないで、世の友達に会って、あれこれ不満を言いながら慰めてもらいたいと思うのです。肉の人の姿なのです。そのように不満を言って文句を言って人の陰口を言って、あれこれ噂話をして、そうすると胸がすっとするでしょうか。それは束の間だけです。それで問題が解決されるのではありません。霊的な忠告を受けなければなりません。真理のみ言葉を聞こうとしなければなりません。


祈りなさい、神様に求めなさいとか、その人のために祈りなさいとか、善を行いなさいというこの霊的な答えを聞き入れなければならないのです。それが今すぐにはすっきりする答えではないかもしれないけれど、それを聞き入れて努力していけば霊的に問題が解決されるようになるのです。聖霊様が働いてくださるからです。しかし肉の答えを受けたいと思う人は、そのような霊的な答えに耳を傾けないのです。それでだんだんもっと試練が多くなったりするのです。どれほど愚かな姿でしょうか。肉の人はそうです。だから皆さんにもそういう姿があるなら悔い改めなければなりません。


続く本文を読むとヨブはさらに話にならないことを言っています。ヨブ記19:22です。


なぜ、あなたがたは神のように、私を追いつめ、私の肉で満足しないのか。(ヨブ19:22)


私は自分の過ちでこんな目にあっているのではない、神様が私を打ったからだ。それなのにあなた方も私を迫害するのか。ヨブは神様が自分を追いつめていると決めつけていて、友達も同じように自分を苦しめていると言っています。わたしの肉で満足しないかとも言っています。友達が自分を追いつめてこんなふうに自分はやつれてしまったのに、まだ気が済まないのかと言っています。ヨブは友達が言っていることを受け入れないし、イライラして言ってストレスを受けたのです。友達があなたは悪い、間違っているとずっと指摘して責めているから、それを聞いているヨブは精神的にどれほど疲れたでしょうか?それですごく悩んでストレスを受けるから、どんどん痩せていきました。だから友達が自分の肉を食べると表現したのです。このようにヨブは自分が痩せる理由を神様のせいにして友達のせいにしていますが、実はヨブが自分で自分の肉を削っていました。


もしヨブの心が良くて柔和な人だったなら、ストレスで痩せることはないでしょう。人の心が鉄板とかコンクリートのように固いなら、相手が悪い言葉で攻撃すると耐えられません。固い鉄板に石を投げるとどうなりますか?強くぶつかってやかましい音がします。このように心が頑なな人が不当なことを言われると、はらわたが煮えたぎって夜眠れないこともあります。今すぐ行って言い訳をしたり、問い詰めて怒鳴ってこそ胸がすっとするでしょう。皆さんの心も顧みますように。


もし誰かに誹謗中傷を言われたことや、誤解されたことでストレスを受けてどんどん痩せるなら、それだけ自分の心が頑なだと分かればいいでしょう。最近私たちは現代の社会では環境が豊かだから反対にストレスを受けると食べ過ぎてしまい太る場合もあります。人の話とか周りの環境のため精神的に疲れて悩んで、いろいろな現象が起こるのです。人それぞれ違うでしょう。皆さんはどうだったのか顧みますように。そして人のせいにしたり、環境のせい、家族のせいにして、その為こんなに私はつらいと思いながら食べ過ぎてしまったり、そうでなければ痩せてしまったりすることはなかったのか顧みますように。


反対に綿に石を投げるとほんわり包んでしまうから音がしません。このように私たちの心が綿のように柔和で良い心なら、誰とも対立したり言い争そったりしないでしょう。いくら石のような心を持っていた人が攻撃してきても、愛と徳で包むから争いにならないのです。傷つくこともないからぐっすり眠れるし、よく食べて消化します。どんなことがあっても喜んで感謝して神様の愛で心が満たされていて、天国への希望があるから痩せ衰えるはずがないのです。ですから私たちは柔和な心を所有して相手を苦しめることを言ったり、相手を辛い思いをさせることがあってはいけません。


ヨブは友達の助言を受け入れることができなくてやつれていますが、友達は相変わらず責め続けています。相手の言葉を受けない人も問題ですが、彼を続けて指摘して苦しめる人も正しくはないのです。ヨブが友達の話を受け入れて認めていたなら問題が解決されていたでしょう。しかしそうでなかったからストレスで痩せていたのです。このようなヨブに向かって責め続ける友達も同じ罪を犯していました。本当に愛するなら相手の利益を求めて言葉も注意しなければならないでしょう。


皆さん。これまでヨブの立場に立ってメッセージを聞きましたか?皆さんがヨブと同じような境遇に置かれているならどうだったでしょうか?ヨブが今でも立ち返って神様の前に悔い改めて真理に従って喜んで感謝するなら試練は終わるでしょう。皆さんの問題も同じです。皆さんがどんな状況に置かれていても信仰の目で期待しながら、誰とも対立しないで柔和の心で仕えて真理を行うならどうなるでしょうか?神様は生きておられます。神様が憐れんで下さり、速やかに答えて下さり、問題が解決されるでしょう。神様は私たちの心が主に似た柔和な心になるように望んでおられます。ですから、皆さんが変えられて全ての人と平和を追い求めて家庭と職場で祝福され福音化され栄光を捧げますように。


時に問題にぶつかったり試練に会うとき、神様の前につぶやかないで不安を持たないで、真理に従って感謝しようと努力をしていきます。自分なりにやってみても問題は解決されないし、答えが見えないときはどうでしょう。それでだんだん疲れてしまって熱心が冷めてしまい、心の中でこっそり神様のせいにする姿はないでしょうか?人は自分がよくやったことだけを覚えています。しかし自分に欠けているところがたくさんあるのにそれは気がつかないのです。


初心のものが熱いとき少しだけ行ってもすぐ答えを受けますね。でも信仰歴もあってある程度信仰のある人々が初心の者のようにちょっと行うからといって、すぐ答えが来るでしょうか?そうではないのです。神様が望んでおられる基準が違うのです。そして神様の前に過ちとか罪を犯しているところがたくさんあるならば、もっと答えを受けるのは遅くなってしまうのです。ですから自分がやっていることだけを考えて神様に不満を抱くのではなくて、自分に欠けているところを正確に発見しなければなりません。


神様は正確な方です。私たちのすべての行いと口の言葉と心と思いを全部知っておられます。今日のメッセージは肉の人と御霊の人ですが、これはヨブの姿だけではなく、私たちも自分を顧みるようにするためです。自分は肉の人なのか、御霊の人なのか、ヨブの姿を見ながら、自分の心も口の言葉もまた考えていることも、一つ一つ細やかにチェックしてみなければなりません。そして、自分の姿を客観的に見つめ直さなければなりません。自己中心的な考え方ではいけないのです。


皆さんは初心の者ではないでしょう。又、多くのメッセージを聞いているでしょう。ヨブ記講解を通して、自分が何故試練に遭っているのか、何故問題が解決されないのか、その原因を正確に発見して回復しますように。


結論です。


愛する皆さん、今日はヨブの姿を通して、指摘されたり責められるとき、どんな姿勢でいるべきかについて調べてみました。肉の人は相手が自分をわかってくれて慰めてくれれば嬉しいけれど、そうでなければ不満を抱きます。ヨブは友達や周りの人を恨みながら、友達の指摘や失責によって自分がストレスを受けてやつれていると言いました。しかしそれは肉の人の姿です。肉の人は誰かが嫌味を言ったら、それによって悩んで辛くなって反論したくなって言い訳をしたいのです。そうでなければ夜眠れないし消化不良になったりイライラします。しかし御霊の人は自分を顧みます。自分に必要な指摘だったなら当然感謝して受けるでしょう。訳もない悪口だったならただ聞き流せばいいのです。だから、ストレスを受ける理由がないのです。


私たちは誰かが自分の悪口を言ったり嫌味を言うならば、それによって嬉しい人はいないでしょう。相手がそんな悪を行っているから悲しいでしょう。しかし御霊の人はそのため自分が傷つくことはないのです。自分とは関係ない言葉だからです。悪いことを言った人はその人の悪の為その人に報いが臨むから心は痛むのですが、それによって、自分が傷ついたり、ストレスを受けることもないし、自分の信仰に悪い影響を受ける理由もないのです。しかし、人に認められたいとか、人にわかってほしいと思う人は、人に何か言われたら、そのため自分が傷ついたりするのです。それが肉の人の姿です。


皆さんはこのように自分がどんなことで傷つくのかストレスを受けるのか顧みますように。肉の人と御霊の人にはこのように大きい違いがあります。神様はヨブがまだ肉の人だから彼を御霊の人になるようにするために練っておられます。私たちも同じです。私たちは神様の子供です。神様は聖なる方で完全な方で傷もしみもない穢れのない方です。エペソ1:4に「神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」とあるように神様は子供である私たちが聖く傷のないものになるように望んでおられます。それで心による肉の属性を発見して捨てるように、試練に遭って変えられるようにしてくださいます。その試練の過程を経て、私たちは変えられて神様の心を理解するようになり、その試練の過程が大切な経験になるのです。そして他の人も変えさせることができるようになります。


そして天国にいた時は真の感謝と幸せを味わうようになるでしょう。この地上でも試練が大きい分、後で受ける祝福も大きいでしょう。ですから神様の前で練られるとき、ただ感謝しながら様々な試練にあったときはこの上もなく喜びますように。信仰が試されると忍耐が生じて、その忍耐を完全に働かせれば何一つ欠けたところのない成長を遂げた完全なものになります。ヨブ記のメッセージを聞いて自分の信仰をチェックしてみますように。それで真の子どもとして新しいエルサレムまで激しく攻めていきますよう、主の御名によって祈ります。


聞いたメッセージを思い出して祈ります。父なる神様、今日ヨブの姿を通して肉の人の姿はどうなのか調べてみました。そして自分を比べてみて自分はヨブのような人ではないか顧みました。肉の愛を捨てて霊の愛を所有して、指摘されて責められた時、自分の過ちを認めないで言い訳をする姿ではなくて、へり下って自分を認めて悔い改めて立ち返って変えられて発展していくようにしてください。それで試練の時にさらに喜ぶようにしてください。感謝してイエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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