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ヨブ記講解(46) - 自ら罠をつくらないように(下)

9月10日
読了時間: 13分

説教:イ・スジン牧師

本文:ヨブ記18:11~13


「恐怖が回りから彼を脅かし、彼の足を追い立てる。彼の精力は飢え、わざわいが彼をつまずかせようとしている」(ヨブ18:11-12)


ビルダデはヨブ18:2「いつあなたがたは、その話にけりをつけるのか。まず悟れ」と友達に言ったのですが、いざとなると自分の口ではこのように、ものすごい災いと呪いの言葉を言い放っているから、どれほど矛盾なことで悪いことでしょうか。ここで彼の精力は飢えとあります。ここで精力とは、ヨブが過去に味わっていた富と財産 、名誉、知恵を言います。そして飢えるとは飢饉による飢えでなくて、ヨブの子供たちがみな死んで、すべての富と名誉など、今まで積んでおいたものが崩れてしまったことを意味します。​


つまりヨブの自尊心、高ぶりなど、ヨブの角が全部引き抜かれたことです。過ぎ去ったことです。ヨブ、自分の姿を見てみなさい。あなたが積んだものは全部壊されてしまった。あなたの力もなくなった。災いがあなたを待っているだけだと言っています。これまでヨブに悪性の腫物などどんな苦しみがあったのかを表現しながら、今苦しんでいるヨブをあざけってさらに苦しみを受けるように呪っている姿です。みなさん、これまでヨブ記を調べてみるとヨブの友達の姿はどれ程悪いでしょうか。そして友達を無視して、罪に定めているヨブも同じです。それではヨブと友達がなぜここまで互いを傷つけるところになってしまったのでしょうか?互いに自分が正しいと言いながら、言い争うから怒るようになって感情的に対立して、だんだん悪に悪を積むようになりました。​


このように心が完全にきよめられる前は、言い争う人がいるなら両方とも間違っているのです。互いに言い争っていて、第三者にどちらが正しいか判断してくれという場合がありますが、お互い様です。相手の方が悪いと思いますか?相手がそう言ったから、私はこう言ったというのでしょうか?そうではありません。自分に悪があるからです。そして相手は自分が正しいと思っているから、そう言っているのです。


このように言い争うことは、目上の人と目下の人の間でもあります。すると目下の人は目上の人の前で、怒鳴ったりすることはできないでしょう。文句があったら、ぶつぶつ言ったりするかもしれません。目上の人なら、自分が言い争っていることに気づかないかもしれません。夫婦の間でもそうです。ある人は自分の意見をストレートに言ってしまう人がいて、ある人は内気で、あまり言えない人がいるならばどうでしょう?それで互いにぶつかることもあります。


今ヨブとヨブの友達の場合は互いに言い争っていて、私たちはそれを第三者の視線から見るから分かるのですが、皆さんが当事者になると気づかないかもしれません。そして自分はあまり強く言わない人だから、おとなしい性格だから、ヨブのようには激しく言っていないからと思うかもしれませんが、心の中はどうでしょう。ですから皆さん、誰かが悪いと言う前に、まず自分を顧みなければなりません。そして本当に正しい人ならば、人を嘲笑ったり、非難することはないでしょう。


私は言い争うことはありません、口論とか怒鳴ることもありません、と思うかもしれませんが、しかし噂話が好きな人がいるかもしれないし、その人がいないところでひそひそ話をしながら、その人の悪口を言っているかもしれません。そこまで言わなくても、その人がやった悪いことをなんとなく言いながら、その人の印象が悪くなるようにすることがあるかもしれません。ですから自分を顧みなければなりません。続く聖句にも、ビルダデはヨブを呪っている内容が続きます。


「彼の皮膚を食らおうとしている。死の初子が彼のからだを食らおうとしている。」

(ヨブ18:13)


「皮膚を食らう」とはどういう意味でしょうか ?ヨブが今ひどい皮膚病によって、悪性の腫物によって苦しんでいる姿を表現しています。ところで霊的な意味で、皮膚とはヨブの身体だけではなくその家族や環境、これまで積んできた業績とヨブが受けていた祝福を、全部言っているのです。ですからここで皮膚を食らうという意味は、ヨブのすべてが災いによって完全に滅びてしまうという、厳しい呪いの言葉です。


また「死の初子が彼の体を食らおうとしている」とは、ただ死ぬのではなくて、非常に苦しい死に方をするという意味です。普通の死ではなくて根絶やしにされるみじめな死であり、骨の節々全身のすべての部分が腐っていくような、むごたらしい死に方を言います。人々が死ぬケースを見ると老衰によって自然に死ぬ場合があるし、突然の病気とか事故によって死ぬ場合もあるし、自殺もあります。韓国では昔から寿命を全うして、安らかに死を迎えるのが祝福だと思っていました。実際に多くの人が、寝ていて静かに死ぬのがいいと言っています。


ところで本文でビルダデが、ヨブに言っている死はどんな死でしょうか?死の初子が彼の体を 隅々まで喰らうと言っています。単語そのものだけ聞いても、恐ろしくて惨めな呪いの死でしょう。人が負の感情を剝き出しにすると、このように激しい表現まで使います。特に罪がはびこっている今日ではどうでしょう?ニュースでこのような悪い姿を見ることがあります。互いに口論していて、頭にくると相手に向かって、ひどい悪態をついて、死ねと言ったりする場合もあります。しかも、こういう言葉を身近な間の家族や兄弟、近所の人にも言うのです。これを聞いた相手はどれほどショックを受けて、苦しいし悲しいでしょうか。言った人は一瞬かっとなって言ったと言うかもしれませんが、それを言われた人には大きい傷になるのです 。


そして最近はオンライン時代で、自分と全然関係のない人に 無分別に呪いの文を書いたりします 。自分に何か悪いことをしたわけでもないし、話をしたこともない人に対して、誹謗中傷、悪口などをためらわずに言うのです。匿名だからすまない気持ちもなく、責任感もなくそのようにするのです。匿名でいろんなコメントとか、そして何かニュースとか話題になったことについて、あれこれコメントをつけるのですが、その中を見てみると呪いの言葉とか悪態もあるし、いろんな偽り、悪口、中傷、誹謗などが書いてあります。そのような文を見る当事者はどれほど苦しいでしょうか?


それによってうつ病にかかったり、人生を諦めてしまうこともあります。直接の殺人ではなくても、言語暴力によってこのような傷をつけることがあります。皆さんには、こういう悪を行う方はいないでしょうが、最近はそのようなコメントを書き込む年齢がだんだん若くなって、小さい子どもも小学生もそういうことがよくあるみたいです。小学生がこのように本当に厳しいことを書き込んだりすることも、悪い書き込みをすることもあるみたいです。皆さんもしかして自分の子どもはそんなことがないのか、見守っていて気をつけなければならないでしょう。


今日は子どもの主日ですが、自分の子はそんなことないと言うのではなくて、家庭の中で親の前ではそう言わないかもしれませんが、学校で友達といるときはどうなのかわからないでしょう。そして学校で友達の中で、誰かに何か悪い書き込みを書いておいて、それを誇っているように自慢するように言う場合もあるそうです。そしてある子どもは、自分にお金があるのに万引きをする場合もあります。それはお金がないからではなくて、何か心が満たされていないから、それによって満足感を得るとか、そのような心理的なこともあるみたいです。そしてちょっと力が強くて体が大きい場合、自分より弱い子どもを殴ったりいじめたりすると、自分についてくる子どももいるから、それは自分がよくやっていると思う場合もあるみたいですが、万民の子どもの皆さんはそのようなことがあってはいけないでしょう。


そういうことは悪いことだと正しく教える必要があるでしょう。皆さんが自分も知らないある人に 匿名で何か悪い書き込みをしたことはないとしても、皆さんの家族とか兄弟とか教会の聖徒の間で、もしかして気に入らない人に対して不満を抱いて、その人の悪口を言ったりすることがあるなら、それも全部同じ悪から出てくることなのです。だからその悪い心そのものを捨てなければならないのです。真理を知って聖めを慕っている皆さんなら、本文でヨブを呪っているビルダデを見ながらどう思いますか?ビルダデという人は本当にひどいな、どうしてそんな悪い言葉を口にすることがあるのか?どうして友達にそんなふうに悪いことをするのかと思いますか?それなら真理を知る前の過去の自分の姿はどうだったでしょうか?


もしかして今もそのような悪の性質が残っているのではないか、顧みなければなりません。ヨブの友達には知識もあって教養もあったのですが、言い争っていったら大きい根本の悪が明らかになりました。人の心の底に潜んでいた悪の性質があらわになったのです。人が聖められる前はこのように心に深く潜んでいた、悪の性質が現れることがあります。だからその根まで引き抜かなければなりません。そのためには火のように祈って心の割礼をしなければなりません 。


自分に悪を行う人に対して、その人を憎む心もないし、不満もないし、何の感情もなくただ愛を持ってとりなしの祈りができるでしょうか?そうはっきり言えるでしょうか?そうでなければ、そう言われて黙ってはいたけれど、心の中でイライラしたりむしゃくしゃしたりして、やっと我慢している自分がいるのではありませんか?それで相手がもっとひどいことを言うと、自分からもそれが爆発してしまうことがあるかもしれません。次の時間にもビルダデの呪いは続きます 。


結論です。


皆さん、ヨブと友達は恨み呪いの言葉によって自ら罠を作っていきました。皆さんも普段自分が口にしている言葉がどうなのか顧みますように。ルカ6:45です 。「良い人はその心の良い倉から良いものを出し、悪い人は、悪い倉から悪いものを出します。なぜなら人の口は、心に満ちているものを放すからです。」とあります。良い心からは良い言葉が出てきますが、悪い心からは悪い言葉が出てきます。ビルダデの心にヨブに対する妬みそねみがあったから、ヨブが試練にあっている姿を見たら、このように呪いの言葉まで出ました。しかしビルダデも前ヨブが豊かで平安だったときは、ヨブを褒めていて憧れていただけでした。それで自分の心にねたみがあるのかわからなかったのですが、今いざとなるとその潜んでいた悪が現れたのです。ヨブも同じです。


これについて理解しやすく例えを元老牧師先生が挙げてくださいましたね。汚い水をコップに入れてしばらくしておくと、ゴミが全部沈んで上はきれいに見えますね。でもコップを揺すると沈んでいたゴミが浮かんできて、水全体が汚くなります。人の心も同じです。皆さんこの水飲めるでしょうか?今ゴミが沈んでいるとき上の部分だけを見るなら、きれいな水のように見えますね。これが透明でないコップだったなら、上から見るときれいな水のように見えるでしょう。でも揺するとこのように汚くなるのです。これは飲めるでしょうか?そうではありませんね。同じです。人の心も平安なときは自分も知らなかった悪が、自分が試練にあったり苦しいことにあると、表に浮かんでくるのです。おとなしくて柔和のように見えた人も、悔しい目にあったら全然違う人になってしまうこともあるし、不当な扱いをされたり問題にぶつかったり、このようにいろんな悪の姿が出てくるのです。試練にあうことによってその人の一番弱いところ、潜んでいた悪が明らかになるのです。


聖霊に満たされているとき、教会に何もなく平安なときは自分の中の悪が現れないでしょう。見えなかったでしょう。でもいろんなことが起こって、悪い人々によって自分が誤解されたり被害を受けたり、そして到底自分には理解できないことをしている人を見たりしたときどうでしょう?そして周りの人は教会から離れてしまい、いろんな悪い話をしているとき、それによって自分が影響を受けて、自分も自分の心の中にあった悪が現れたのではありませんか?それを発見して捨てたならよかったのですが、そうではなくてそれは環境のせいだとか、人のせいだとか言い訳をしているなら、ヨブと同じ姿ではありませんか。そうではなくて自分の中に悪があったのだということを認めなければなりません。自分が不満を抱いていたことは、自分の悪のためであり、自分をわかってくれない人に対して不満を抱いたということを、悟らなければなりません。


みなさん今日、大礼拝のメッセージにあったように、教会の中で派閥とかあってはいけません。党派心を持つことがあってはいけません。堂会長先生の家族だからといって、派閥を作ることとか、そういうことを絶対してはいけません。それぞれ主のしもべとしてすべきことをして、それで自然に聖徒に愛されることはいいのですが、そうではなくて堂会長先生の家族だから、何でも他の人の話も聞かないで、何か自分は側近みたいに言う人がいるようですが、そんなことがあってはいけません。自分は堂会長先生の家族のために義憤を感じたから人と口論したとか、抗議をしたとか、そういうことを自慢話のように言う人がいますが、そんなことがあってはいけません。それは心にある悪が現れたことです。


でもそれが今発見されたからといって驚いたり落ち込むのではなくて、喜んで感謝して、変化のきっかけにすればいいのです。火のように祈り続けて努力していけば、神様の恵みと力、聖霊の助けによって、心が聖くなることができます。明日からは、定めのダニエル祈祷会が始まります。皆さんこれまで聞いたヨブ記講解を通して自分を発見したならば、祈りながらそれを捨てますように。今からは環境とか人のせいにしないで、自分の中にあった悪が表に現れたことを認めて、切に祈りながらそれを捨てて変えられますように。


そして今日のメッセージのタイトルのように、自ら罠を作らないために罪と悪から離れ、特に口の言葉に気をつけますように。神様に逆らい隣人を憎み中傷する言葉、偽りの証言、神の人を裁いて罪に定める言葉、虚しい言葉、高ぶる言葉ではなくて、真実で正しい言葉、善と愛が込められた言葉、希望の言葉、信仰の告白をしましょう。聖霊様は、私たちの賛美と祈り、私たちの口の言葉から出てくる信仰の言葉を聞いて、働いてくださいます。


反対に自分の口の言葉が真理と反対のものなら、敵である悪魔が働きます。多くの人が自分が口にした言葉が罠になって、そのため祈っても答えを受けられないし、長い間試練にあっているのにその原因がわからないのです。神様の前で罪の壁になるような言葉を口にしておいて、忘れてしまったり、サタンに訴えられるようなことを言っておいて、一瞬口が滑ったとか言い訳をしたりします。信仰のない言葉、否定的な言葉、神様に呟いて嘆く言葉が罠になるのです。ですから神様の子供らしく私たちは聖なる心に変えられて、虚しい言葉、不平を言う言葉ではなくて、いつも感謝の告白、賛美、信仰の告白をして、平和の実、祝福の実を結びますよう、主の御名によって祈ります。


聞いたメッセージを思い出して祈りましょう。父なる神様、今日はヨブの友達ビルダデがヨブを呪う姿、あまりにもひどい悪い言葉を口にしている姿を見ました。しかしそれはビルダデの姿だけではなく、自分にもそういう姿はないのかを顧みますように。自分に害を与えて自分を苦しめる人に対して、その人が失敗するのを願ったり、その人の悪いところを人に伝えたり、噂話をしていたりそういう姿はなかったのか、顧みますように。口の言葉によって罠を作ることはないように、真理の言葉、善の言葉に変えていくようにしてください。明日から定めのダニエル祈祷会が始ります。切に祈りながら、自分自身を発見して変えられるようにしてください。感謝してイエス・キリストの御名によって、お祈りいたします。アーメン。

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