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ヨブ記講解(46)-自ら罠をつくらないように(上)

9月10日
読了時間: 10分

説教:イ・スジン牧師

本文:ヨブ記18:8~10


皆さん、前回ヨブ記18章では、しばらく友達とヨブの話を聞いていたシュアハ人ビルダデがもう一度話しました。ビルダデはヨブと友達が言い争っていることをやめさせるふりをしながら、自分がもっと喋るようになります。ヨブには「怒って自分自身を引き裂くものよと責めながら、あなたが踏んでいる地でも、あなたが怒るとき驚くだろうか?あなたがいくら怒っても、固い岩をどうすることもできないだろう。」と嘲笑いました。まるで火事が起きた家の火を消そうと入ってきて、煽るようなことです。人が心に怒りがこみ上げてくると、ヨブのように自分自身を引き裂くようになるし、そしてビルダデがヨブにしたように、相手をもっと怒らせて、互いに互いを引き裂く結果を生みだします。ですから私たちはただ善をもって、悪に打ち勝たなければならないと伝えました。 ​


神様がヨブ記講解を通して、人の悪の属性を一つ一つ教えてくださるのは、私たちが自分自身を発見して、変えられるのを望んでおられるからです。ですからメッセージを聞きながら、ひょっとしてヨブやヨブの友達のような心が自分の中にあるのではないか、発見して速やかに捨てますように。ローマ2:13には、「それは、律法を聞くものが神の前に正しいのではなく、律法を行う者が正しいと認められるからです。」とあります。いくら素晴らしいメッセージを聞いて知恵を悟っても、それを心で信じて行ってこそ、自分に利益となり正しくなることもできます。ですから今日のメッセージを聞いて悟って、本当に変えられて行いの実を結ぶ幸いな皆さんになりますように。​


ヨブ記講解を聞きながら、ヨブと友達が話をして言い争っていて悪を行っている姿を見て、似たような内容が繰り返されているようでも、単語一つ一つの意味を説明しているから、皆さんは人の深い悪について悟るでしょう。そして神様が解き明かしてくださった、その神様の心についても説明しているので、多くを悟ると思います。ヨブとヨブの友達の共通的な悪、そして言い争いの無益さについて伝えています。このメッセージを聞いて、私もそうだと悟る方が多くいると思います。そのように悟ったなら、その後はそれを実行する姿が必要です。今週聞いて来週また聞いて、自分は何も変わっていないのではなくて、聞いて悟った分変えられていかなければならないでしょう。​


それで自分がヨブの立場でもヨブの友達の立場でも、聞いた御言葉を真理に照らして行わなければなりません。ある人が自分を苦しめても嫌味を言っても、真理の御言葉を聞いた私たちはどうすべきでしょうか。いつも御言葉に自分を照らしてみますように。それで善を持って悪に打ち勝つなら、神様がどれほど喜ばれるでしょうか。するとより優れた天国に行けるでしょう。そのために神様が、このヨブ記講解を解き明かしてくださるのです。ですからこのメッセージを聞きながら、自分を顧みて変えられる皆さんになりますように。


本文8節でビルダデはこう言います。


「彼は自分の足で網にかかる。落とし穴の上を歩むからだ。」(ヨブ18:8)

しかし相手が試練にあっていて苦しみを受けていると、その人が前悪いことを言ったとか、よくないことをしたことをもって、もっとその人を攻撃したり苦しめる人もいます。それはその人に対して妬みがあるからです。皆さんも自分の心にそのような姿がないのか、顧みますように。ある人を普段からあまり気に入らないと思っていたのですが、その人が教会の試練のとき、例えば教会に問題を起こして教会を離れたならば、その人について周りの人にあれこれ悪口を言いながら、あの人、前にこんな悪いことを言ったことがあるとか、こんなこともしたと言いながら噂話しをするのです。


そのようにいろんな噂話しを聞いたり伝えたり、集まってひそひそ話をしたことはありませんか?それも自分の心に悪があるからでしょう。その人を愛するなら心に善があるなら、どうしてそれができるでしょうか?それはその人への憎しみや妬みが心にあったから、それが今そんなふうに現れたのではありませんか。それは大きな悪だと悟って徹底的に悔い改め捨てなければならないでしょう。自分の悪を認めて神様の前に断食しながら祈りながら、へり下って悔い改めなければならないのです。


平安なときはそういう姿が現れません。ですから私たちはヨブ記講解を通して、そういう自分を発見しなければならないのです。そして教会の試練のとき、自分はどうだったのかを顧みなければなりません。自分の心の中にどんな悪があったのかを、見つけなければなりません。イエス様の姿はどうでしたか?悪い人を指摘したり、とがめたり、悪をもって悪に報いる姿はありませんでした。ただ善と愛を行われました。私たちはこのようなイエス様のご性質と行いに、似ていかなければなりません。


マタイ12:20に「彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない。公義を勝利に導くまでは」とあります。これはイエス様のご性質と行いについての御言葉です。ここでいたんだ葦とは、霊的に世の罪と悪で満ちた人を言います。罪と悪が満ちている人です。それを傷んだ葦に例えています。そのような人でもイエス様は受け入れてくださいました。ただ善だけを行うイエス様を見たのに、悪を行う人々がいました。彼らが傷んだ葦のような人でした。こんな人でもイエス様は見捨てることなく、何としてでも真理をもって悟そうとされました。忍耐を持って受け入れてくださいました。


次にくすぶる燈心とは、心が悪で染まって魂のともしびが消えている人を言います。このような人でも救われる可能性が少しでもあるなら、最後まで諦めない心が主の心です。それでご自身を売る、イスカリオテ・ユダのためにも、最後まで彼が変えられるように待ってくださいました。イスカリオテ・ユダが現金箱から金を盗んでいても、イエス様はそれを知っていながらも、その時指摘したり人の前で叱ったりしませんでした。自分自身で悟るようには教えてくださったでしょう。そのようなイスカリオテ・ユダでも、ご自分を売る人でも、最後まで愛して真理を教えてくださいました。どれほど大きい愛でしょうか。


大きい罪を犯して悔い改めの霊も受けられなくて、御霊が消えていく人を見ても、神様は最後まで諦めないで機会をくださいます。それなのに人が人を諦めてしまっていいでしょうか。あの人は地獄に行く人だと、さばいてしまうことはなかったでしょうか。それは呪いではありませんか。死に至る罪を犯したからと言うのでしょうか。いいえ、イエス様はイスカリオテ・ユダも、最後までそのユダが救われるように、悔い改めるように待ってくださいました。諦めませんでした。


だから私たちも、人が人をさばいてはいけないし、そして自分を顧みなければなりません。自分はどのくらい聖いでしょうか?完全でしょうか?そうでないのにどうして、人が人をさばいて罪に定めて、あの人は死に至ると、このように呪うことができるでしょうか?イエス様は最後まで機会をくださり待ってくださり諦めないで、愛と善を行ってくださいました。その愛と善に私たちは似ていかなければなりません。しかしその機会をつかまないで悔い改めなければ、結局死の道に行くようになりますが、神様の方で先に諦めることはありません。


私たちはこのような神様の心と主の心に似ていかなければなりません。そうしないで、相手が悪を行うからといって失敗するのを望むなら、自分も同じ悪者です。続く本文を読むと、ビルダデの呪いの言葉は続きます。


ヨブ記18:7です。


「彼の力強い歩みはせばめられ、おのれのはかりごとが彼を投げ倒す。」(ヨブ18:7)


普段からヨブは自分は完璧で正しいと思っていたから、その歩みに力がありました。自信を持っている足取りだったし、堂々としていました。友達がそのヨブの姿を見て、妬むようになったのです。もちろん、友達は前はその妬みに気づかなかったかもしれませんが、ヨブが今滅びている姿を見たら、その妬みが現れているのです。


これは私たち人の心はほとんどそうです。肉の人はこのように悪いのです。誰かがうまくいくと、その人がうまくいくのが面白くないのです。その人に対する妬みがあったからでしょう。一緒に本当に素直に喜ぶことができない場合もよくあるのではありませんか。だから、皆さんも自分自身はどうなのか、顧みなければなりません。まだ捨てていない肉があって、妬み、そねみ、憎しみが自分にもあるということを認めなければなりません。だから神様はヨブ記のメッセージを皆さんが聞いて、自分の肉の心を発見して捨てるようにと望んでおられるのです。


このようなメッセージを聞きながら、自分を照らしてみてください。それで、はっきり目に見えるものとして現れていなくても、心の中に潜んでいるそういう姿があるのではありませんか。誰かが褒められている姿を見て、いやあの人、前こういう欠けているところもあったのに、このようなミスもしたのにとか、ふとよぎるならば、それも自分の中に妬みがある、そねみがあるということでしょう。


そして、褒められている人を見ると気に入らないし、なぜ私はその人より頑張っているのに褒めてくれないのかと思うなら、もっと悪いでしょう。ビルダデは、ヨブの力強い歩みはせばめられ、おのれのはかりごとが投げ倒すと言っています。ヨブがしていたことがはかりごとだと言っています。それによって自分から罠に落ちたと言っているのです。ヨブをけなしている姿です。ビルダデの潜んでいた悪、愛のない心が明らかにされています。心に霊の愛があるなら、人がうまくいくとき、そねんだり妬みません。


韓国のことわざに、いとこが土地を買えば腹が痛むという言葉がありますが、いとこが土地を買ったなら喜ぶべきなのに、愛がないから妬むのです。このように人が成功すれば妬んで、失敗するのを望む心がありますか。そして他人が失敗したとき、まず笑ったり、見くびる姿はありませんか。そういう姿を見ると見苦しいでしょう。善と愛そのものである神様がご覧になるときは、どれほどもどかしいでしょうか。


マタイ5:46に、「自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも同じことをしているではありませんか。」とあります。自分を愛してくれる人を愛することは、罪人でもできます。しかし神の子供たちは、自分を愛してくれる人だけではなく、敵をも愛する霊の愛を所有しなければなりません。私たちがその愛をまずいただいたからです。神様は私たちが罪人だったとき、私たちのために尊いひとり子を渡してくださり、イエス様は私たちの罪をあがなうために十字架につけられ、血と水を注ぎ出してくださいました。これが私たちのためにくださった神様の愛です。


神様は、このような愛をいただいた私たちが、互いに愛し合うように望んでおられます。ルカ6:27-28です。「しかし今聞いているあなたがたに、私はこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行いなさい。あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。」とあります。ですから自分を愛してくれる人を愛することはもちろん、自分に悪を行う人が滅びるのを見たとしても、いい気味だと思うのではなくて、その人のために悲しみ祈ってあげる心でなければならないでしょう。ところが今ビルダデは敵でもない友達のヨブに、呪いの言葉を言っているのです。次の時間に続けて伝えます。


皆さん、今日のメッセージを聞きながら、自分自身を引き裂く者の姿を悟ったでしょうか。自分の口から恨みとか不満とか 、人への妬み、そねみが出てくる姿がないのか。それによって自分自身を引き裂くようになるのです。そして相手が失敗しているとき、それを嘲笑ったりしている姿ではないのか。自分自身を顧みますように。聞いたメッセージを思い出して祈りましょう。


父なる神様、今日はヨブの友達ビルダデが言っている言葉を聞いてみました。ヨブと友達が言い争っていてそれをやめなさいと言いながらも、自分が言いたいことを言いながら、またヨブを嘲笑って呪っている姿を見ました。心にある悪がこの様に現れるのを見ました。それが自分自身を引き裂く姿になるのです。私たちがこのように妬みそねみ、憎しみによって自分自身を苦しめて周りの人も苦しめるということを悟って、そのような悪を心から捨てるようにしてください。感謝します。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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