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ヨブ記講解(41) - 原因を自分の中から見つけよう

9月10日
読了時間: 8分

説教:イ・スジン牧師

本文:ヨブ記16:10~11


前回に続き、すべての問題の原因を自分の中から見つけて、悔い改めて立ち返るとき、すみやかに神様の恵みを回復することができるということを伝えます。​


1. 劣等感から友だちと神様を誤解するヨブ​


「彼らは私に向かって口を大きくあけ、そしって私の頬を打ち、相集まって私を攻める。」(ヨブ16:10)


ここで「彼ら」とは、ヨブの友だちを指しています。友だちが自分に向かって「口を大きくあけるとは、否定的な表現です。今まで友だちの言葉がヨブを慰めるのではなく、かえって悩ませて傷つけたからです。


友だちが「自分をそしった」と表現したのも、これまで彼らがヨブを攻撃して傷つけるような激しい言葉を口にしたからです。そして、友だちが実際にヨブの頬を打ったのではなく、ヨブは友だちの話を聞いて侮辱されたようだったし、苦しみが極みに達したので、頬を打たれたように感じたということです。


まだヨブは、今の低くなった姿ではなく、昔、栄えていた時のことを考えています。前は友だちが自分を尊敬して仕えてくれていたのに、今は自分を侮って、あざけっているように感じられました。


神様に対するヨブの感じも同じです。ヨブは、前は神様から愛されて祝福されていたのに、今はあまりにも違う現実の中でいじけていました。だから、理由もなく神様が目をぎらつかせているようだし、自分を引き裂いて攻めたて、歯ぎしりしているように感じているのです(ヨブ16:9)。​


仮に皆さんが事業で不渡りを出すとか、突然職場を失って厳しい境遇に置かれているとしましょう。すると周りの人々がそれとなく自分を蔑んでいるようだし、避けようとしているように感じられます。周りの人の心はそうではないのに、自分が劣等感を持って誤解してストレスを受けているから、前とは違うようだと感じることがよくあります。


別の例として、職場で同じ平社員だった同僚が、ある日昇進したとしましょう。自分はまだ下っぱなのに、同僚は先に昇進したから、うらやましくもあり、何となくおもしろくありません。それに昇進した同僚が自分を無視しているようで、ひねくれて仕事をする意欲まで失ってしまいます。


また、友だちは良い大学に合格したのに自分は浪人することになったとき、心はどうでしょうか。友だちは前と同じように自分に接しているのに、なぜか自分を見くびっているように感じて、友だちを遠ざけるなら、これもまた自分の思い込みによる劣等感のせいなのです。


このように、夫婦の間や友だちの間で、また隣人との間でも、自分の思い込みでさばいて誤解することがどれほど多いでしょうか。


これは信仰にあっても同じです。他の働き人が認められてほめられると、やる気がなくなります。その人と比べて自分は頭も良くないし、裕福でもないからと思って落ち込んでしまいます。そして、その人が自分を無視しているようでおもしろくありません。これらは全部、自分の悪から出てくる肉の思いなのです。


2. 問題の原因を他に見つけるから解決されない場合


ヨブは自分が惨めな身の上になった原因を神様のせいにしているので、問題を解決する道が見つけられないのです。


同じように、信仰にあっても問題の原因を他に見つけるから解決されないことがあります。自分がある人をさばいて罪に定め、噂話をしてつまずかせて、それによって周りの人々が嫌な思いをしたのに、自分は悪い人だと誤解されていると思うなら、問題は解決されません。自分が平和を壊して問題の原因を作ったのに、それに気がつかないのです。


また、自分が真理のとおりに行えなくて問題が起こったのに、「神様は私に大きい祝福を与えようと試練に会わせてくださっているのだ」と錯覚して、神様がそうされていると思うのです。このように神様のせい、人のせいだけにしていれば、聖霊の声が聞けないから、問題を解決することができません。


ヤコブ1:13に「だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。」とあります。


もちろん、神様はアブラハムにイサクを全焼のいけにえとしてささげなさいと言われたように、祝福を与えるためにテストなさる場合もあります。みことばどおりに生きているのに試練に会ったとすれば、喜んで感謝すれば、神様が必ずすべてのことを働かせて益としてくださり、さらに大きい祝福を与えて報いてくださいます。


しかし、自分の過ちによって会う試練を、まるで神様が下さった祝福の試練であるかのように誤解することがあってはならないでしょう。


3. まことの祝福を与えるために練られる神様


「神は私を小僧っ子に渡し、悪者の手に投げ込まれる。」(ヨブ16:11)


ヨブは友だちのことを「小僧っ子」「悪者」と呼んで、神様が自分を小僧っ子に渡し、悪者の手に投げ込まれると言っています。これも問題の原因を神様になすりつけているのです。


神様はヨブをそんな者の手に渡されたことはありません。神様がサタンの訴えを聞き入れられたのは、ヨブの財産と子どもとヨブの身を打つことだけでした。その後は見守っておられただけです。


神様がヨブを苦しめたのではなく、試練を通してヨブの隠されていた悪が現れるようになったのです。そして、これをきっかけにヨブが悪を捨てて神様を見つけるようになるので、ヨブを練られたのです。


ヨブは先祖たちから神様について聞いて知っていただけで、神様を見つけて体験したことはありませんでした。しかし、試練を通して神様を見つけるなら、聞いて知っている知識的な信仰ではなく、心で信じられる霊の信仰を持てるようになるのです。


ただ神様について聞いて知っているから神様を恐れる信仰と、神様の全知全能であることと愛を体験して神様を信じる信仰とでは、大きい違いがあります。


もしヨブがこのような厳しい試練に会わなかったとすれば、前のようにそれなりに祝福は受けていたでしょう。行いでは神様の前に誠実に全焼のいけにえをささげ、隣人に徳と善を施していたからです。しかし、神様を見つけて体験し、罪を発見して捨てて聖められる、霊的な祝福は受けることはできなかったでしょう。


ヨブは試練を通して罪の性質を発見して捨てることでまことの祝福を受けられるので、神様は試練に会わせられたのです。たましいに幸いを得ていてこそ、この地上でもさらに大きい祝福を受けるだけでなく、天国でも太陽のように輝く場所に入れるからです。


4. 試練を早く終わらせるには


神様が試練に会わせられたとき、その試練が早く終わるか長びくか、試練が厳しいか軽いかは、その人の心にかかっています。心にどれほど善か悪が多いかによって違うのです。


悪が多いなら、試練に会ったときその悪を現すので、試練が長びきます。反対に、善が多くて、どんなことにあっても信仰を見せて喜び、祈って、感謝して、変わらない忠実で神様に喜ばれるなら、神様がすみやかに敵である悪魔・サタンの陣を打ち砕いて、祝福してくださいます。


しかし、多くの聖徒が試練の中でまことの信仰を見せることができなくて、つぶやいたり、嘆いたり、憎んだり、争ったりなど、悪が現れます。この時も、私たちの神様は一人一人が試練を通して変えられるまで忍耐深く待ってくださいます。


聖徒たちはイエス・キリストを受け入れて、みことばどおりに生きているつもりでも、時には欠けた姿もあり、つまずく時もあります。こういう姿を見て、神様が「あなたには罪がある」と直ちにさばかれるなら、果たして救われる人が何人いるでしょうか。


しかし、愛なる神様はすべての人が悔い改めて立ち返り、真理の中を歩むのを忍耐深く待っておられます。第二ペテロ3:9に「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」とあるとおりです。


そして、聖霊も私たちの心をたたいて真理に導いてくださるので、みことばどおりに生きていない時は心が苦しくなるのです。それでも聞き従わなければ、いろいろな試練や患難がやって来ます。そして、これを通して私たちは純金のように出てくるのです。


ですから、試練に会わせられるのも神様の愛です。このような神様の心を悟って、いつも真理で見分けて、問題の原因を自分の中から見つけて、神様の前にさらに完全な姿にならなければなりません。


しかし、ヨブはこのような神様の愛を悟れなかったので、つぶやいて誤解しました。


もし友だちが最初ヨブに助言したとき、ヨブが「そうだ、あなたがたの言うことは正しい。私がこんな試練に会ったのは自分に原因があるからだろう。言われたとおりに祈りながら、神様の前に自分の過ちを発見しよう」と答えたとすれば、友だちがヨブをあれほど責め立てたでしょうか。ヨブが自分は正しいと言って、友だちの助言を無視して、神様に立ち向かっていったから、友だちは腹を立ててヨブを攻撃したのです。


もしヨブが友だちの助言を受け入れていたなら、友だちはヨブをもっと愛して慰めてくれたでしょう。つまり、神様がヨブを友だちの手に渡したのではなく、ヨブは自分の悪のため自分で苦しみを招いたのです。


ヨブの友だちも同じです。ヨブの言葉に感情的になって手向かったので、ヨブはますます心の戸を閉ざしたのです。結局、ヨブと友だちはどちらも自分の悪のため、自分から苦しみの沼に落ちていったのです。


もしヨブが自分を発見して立ち返ろうとしたならば、神様が恵みを与えて、悟って立ち返るように助けてくださったでしょう。ヨブの皮膚病も、神様は一瞬でいやしてくださったでしょう。


何か問題が起こったとき、私たちは原因を人のせいにしないで、自分の中から見つけなければなりません。みことばで自分を照らして、心から悔い改めて立ち返ると、神様は必ず問題を解決して、祝福してくださいます。


したがって、すべての問題の原因を自分の中から見つけて、すみやかに神様の恵みを回復し、どんな状況でもただ信仰の告白、感謝の告白をして神様のみわざを引き下ろしますよう、主の御名によって祈ります。

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