ヨブ記講解(40) - 人のせいにするのはやめよう
説教:イ・スジン牧師
本文:ヨブ記16:7~9
きょうは、すべての問題の原因が自分にあることを悟って、神様のみことばから答えを見つけなければならないことを伝えます。
1. すべてを神様のせいにするヨブ
「まことに神は今、私を疲れさせた。あなたは私の仲間の者をことごとく荒らされました。」(ヨブ16:7)
ヨブは自分が疲れたのも、友だちが荒らされたのも、すべて神様がそうなさったのだと言っています。
「疲れる」とは、辞書では「体力や気力を消耗してその働きが衰える。くたびれる。」という意味ですが、霊的には心の元気がなくなった状態をいいます。その時、悔い改めて回復しなければ、もっとひどくなって、何もできない無気力な状態、意欲が失われた状態にまでなります。
信仰生活をしている人の中でも、試練や患難に会ったら、それを解決するためにあらゆる努力をしてみて、解決されなければ、疲れてしまう人がいます。忠実に奉仕する意欲も、伝道する意欲も、祈る意欲もなくなって、悩み、焦り、不安に捕われるのです。この状態がさらにひどくなると、生きる意欲さえなくなってしまいます。
使徒パウロも罪との戦いで最も苦しかった時に「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」と言いました。このように自分の力ではとうてい解決できない状態を「疲れた」というのです。
「荒らす」の辞書の意味は「乱雑な状態にする。傷つけたり壊したりする。いため傷つける。」ですが、霊的には「心がかき乱されて人の道理から外れること、真理の道から外れること」を意味します。
ヨブは、神様が自分を打たれたので、疲れて無気力になっただけでなく、自分の仲間の者が道理から外れてとんでもない言葉と行動で自分を責めたてている、彼らの心が荒らされた原因も全部神様にあると言っています。友だちが興奮したのは、元を言えば自分たちの悪が原因ですが、その悪を刺激して動き出すようにしたのは、ヨブが激しい言葉を口にしたからです。ところが、ヨブはこのことを悟れないまま、神様が友だちを荒らされたと主張しています。
2. すべての問題の原因は自分にあることを悟るべき
世の人の中には、神の存在を信じもしないのに、試練に会うと天に向かって恨む人が実に多いです。たとえば、農作業をしていて雨が降らなくて作物が育たないと、「天もあんまりだ」と言って、信じもしない神を恨んで不平を言います。
無神論者や信仰の少ない人は「神様はなぜエデンの園に善悪の知識の木を置いて、人が罪を犯すようにしたのか」「神様は愛の豊かな方だといいながら、なぜ恐ろしい地獄を造られたのか」と問い詰めたりもします。自分が罪と悪を行っているので、ひょっとして存在するかもしれない後の世に対する恐れから、神様を悪い神様だと罵倒します。
もっとひどい時は、神様のみわざが現れると、「間違っている、偽りだ」と迫害するのです。神様のみわざが偽りであってこそ後の世はないと思うからであって、それでこそ好きなように罪を犯すことができるからです。
クリスチャンの中にも、真理をよく知らなくて神様を誤解して、問題の原因をとんでもないところで探す場合が多いです。世にいた時は、罪を犯していても良心の呵責を感じませんでした。ところが、教会に来てみことばを聞いて、罪について指摘されると「信仰生活はあまりにもきつい」 「みことばどおり行うのは難しい」と言います。自分がみことばを守らないで罪を犯しているから苦しいのに、教会のせいにするのです。
また、教会で奉仕をしていて、働き人との間で平和が壊れたり、人によってつまずいたりしたとき、相手のせいで熱心が冷めたと言う人もいます。しかし、これも自分が平和をつくれなったからであり、神様を第一に愛していなかったから奉仕をやめたのです。
ある聖徒は「神様を信じれば祝福されると聞いたのに、なぜ私は祝福されないのですか」と聞きますが、これもまた神様のみことばをあまりにも知らないからです。
申命記28章には、あなたの神、【主】の御声によく聞き従い、主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、【主】は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられ、すべての祝福があなたに臨む、と書いてあります。
第三ヨハネ1:2には「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」とあります。これを逆に言えば、たましいに幸いを得ていないからすべての点でも幸いを得ていないし、健康ではないということです。
また、ガラテヤ6:7に「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」とあるので、蒔かなければ刈り取ることはできません。祈りを蒔けばたましいに幸いを得て、物質を蒔けば物質の祝福を受けます。奉仕を蒔けば健康になるなど、何でも蒔いたとおりに刈り取るので、祝福を受けようとするなら、信仰によって熱心に蒔かなければなりません。
また、神様は「あなたがたの信仰のとおりになれ」 「信じる者には、どんなことでもできるのです。」と言われました。ですから、自分の信仰が霊の信仰か肉の信仰か、霊の信仰がどれぐらいあるかによって、実が違ってくるしかないのです。もし求めても答えを受けられなかったとすれば、自分が真理のみことばを守って生きていないし、心と思いを世に寄せているからなのです。
このように、すべての原因は自分自身にあることを知っておくべきです。神様は約束されたことを間違いなく成し遂げられる方だからです(民数記23:19)。
3. 真理のみことばから答えを見つけるべき
「あなたは私を、つかみました。私のやせ衰えた姿が、証人となり、私に向かって立ち、面と向かって答えをします。」(ヨブ16:8)
花を折れば、その花はすでにいのちの源である根から離れたので、時間が経つとしおれてしまいます。同じように、ヨブは自分のいのちの根源だった財産と家族と健康と子どもなどを神様が打たれたので、自分はその過程で疲れてやせ衰えてしまったというのです。
ヨブは、なぜこんな試練と患難が自分に臨んだのか、原因を知ろうともしないし、友だちの話を聞こうともしないから、悟れませんでした。真理のみことばに照らしてみれば、必ず自分の何が問題だったのかが明らかになるはずです。
もし発見できないなら、祈りと断食をしてでも悟ろうと努力するとき、必ず聖霊が悟れるように助けてくださいます。そして、悟ったら悔い改めて立ち返れば、神様が憐れんでくださるのです。
私たちは神様のみことばを基準として、すべてにおいて自分の感情に左右されたり、自分の考えに合わせたりせず、相手の立場で考えるべきです。結局は問題の原因を他人のせいにしないで、自分のせいにするとき解決される、ということを心に留めなければなりません。
霊的に「やせ衰える」とは、完全にへたり込むことをいいます。木から幹が切られてしまった状態、または太陽が雲におおわれた状態のように、いのちの源がなくなった状態をいいます。
ヨブは財産も健康も家族もなくなったし、友だちさえ敵になってしまいました。それで「私がこのように疲れてやせ衰えたのは、神様が私を打たれたからです。ところが、友だちは私の姿を見て、私が犯した罪のせいで罰を受けたのだと言っています」というのです。友だちに誤解されて悔しいのです。
ヨブは、自分は正しい人なのに、このように途方もない試練、患難に会ったのは、全知全能の神様だけがおできになることだと言って、すべてを神様のせいにしています。だから、心にある神様への不満や不平、恨みなどを言いたい放題言っているのです。
韓国のことわざに「うまくいけば自分のおかげ、失敗すれば先祖のせい」という言葉があるように、多くの人が事がうまくいけば自分がよくやったからだと言い、うまくいかなければ他人のせい、環境のせいにします。
しかし、自分の目には正しいようでも、神様のみことばに照らしてみれば、必ず真理から外れた事をしたから問題が生じるのです。神様のみことばに聞き従う人は知恵があって、賢く対処するので、詐欺にあうこともありません。人が詐欺にあう場合は、ほとんどが物質への欲や自分の利益を求める心のせいです(ヤコブ1:15,第一テモテ6:10)。
保証人になって問題が起こる場合も同じです。神様は聖書のあちこちで保証人になることを禁じておられます(箴言6:1-2,箴言22:26,箴言11:15)。今すぐは保証人になってあげないと、兄弟や友だちを危険から助け出さないようだし、裏切るように見えても、結果を見ればそうではありません。後で見れば、それが家族を救う道であり、友だちをそれ以上滅びないようにする道なので、神様は保証人になってはならないと言われたのです。
聖徒の間のお金の取引も同じです。ローマ13:8に「だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。」とあります。ですから、保証人になってほしいと頼んだり、お金の取引を持ちかけてはならないし、何より教会の中でこういう事があってはいけません。
「神は怒って私を引き裂き、私を攻めたて、私に向かって歯ぎしりした。私の敵は私に向かって目をぎらつかせる。」(ヨブ16:9)
神様が怒って自分を引き裂いていると言ったのは、ヨブが今、皮膚病の傷が固まっては崩れるを繰り返しているからです。
「攻めたてる」とは、辞書では「激しく攻める、しきりに攻撃する」という意味です。霊的には、神様がヨブの罪を繰り返し取り上げては非難しておられる、という意味です。つまり、神様が自分を迫害していると言っているのです。
それだけでなく、神様が自分に向かって歯ぎしりし、続けて攻めたてて、目をぎらつかせて自分をにらんでいるというのです。つまり、神様がヨブを敵とみなして、続けて攻撃して苦しめているということです。ヨブは、病気がよくならないで苦しみが続くので、こんな表現をしています。
しかし、偉大な創造主の神様が、しかも愛と善そのものである神様が、どうして被造物ひとりをターゲットにして、歯ぎしりして攻撃なさるでしょうか。私たちはどんなに大変でつらいことに会っても、決してヨブのように神様を恨んだり、暴言を吐いたりしてはいけません。
耐えがたいことに会えば、自分の中に深く潜んでいた悪が現れて、前は想像もできなかった悪があふれ出るのが試練の時間です。この時「私はこんな人じゃなかったのに…」と思って、環境と他人のせいにしてはいけません。自分でも知らなかった悪い姿を発見したので、必ず捨てて変えられようと決心して努力すればいいのです。そうするとき、深いところにあった悪も、本性の中の罪の性質も捨てることができるのです。
もしかして自分に人のせいにする心や、真実でない心はないのか、いつも神様のみことばに照らしてみますように(詩篇119:105)。そして、どんな試練や問題の前でも、真理の光に導かれて栄える祝福を受けますよう、主の御名によって祈ります。
