ヨブ記講解(38) - ヨブを呪うエリファズ
説教:イ・スジン牧師
本文:ヨブ記15:26~35
きょうは、ヨブをひどく呪うエリファズの姿から私たち人の子らの心を解剖して伝えます。
1. ヨブをねたんでいた心が現れるエリファズ
「厚い盾の取っ手を取っておこがましくも神に向かって馳せかかるからだ。また、彼は顔をあぶらでおおい、腰の回りは脂肪でふくれさせ、荒らされた町、人の住まない家に、石くれの山となる所に、住んだからだ。」(ヨブ15:26-28)
ここで「おこがましい」とは、身の程知らずで高慢な人の姿をいいます。また「厚い盾の取っ手を取って…神に向かって馳せかかる」とは、神様の前に聞き従わない姿をいいます。エリファズはヨブがこのように高ぶっていて聞き従わない人だと罪に定めています。
「腰の回りは脂肪でふくれさせ、」とは、おいしい物をたくさん食べて、太っておなかが出ている姿をいっていて、物質的に豊かな状態を意味します。つまり、ヨブが高ぶって神様を裏切った理由は、物質が豊かだからというのです。
たとえば、イスラエルの民が神様に仕えていた時は、国は豊かで平和でした。ところが、物質的に豊かになって苦労がなくなると、すぐ偶像に仕えて神様を裏切りました。すると神様が御顔を背けられて隣の国に侵略され、捕虜にされて奴隷生活をするはめになりました。国が滅びたので町は荒廃し、人が住まないから動物がうろついて荒れ果ててしまいました。すると人々はあてもなくさまよって山の中に避難したり、岩の間に住んだり、山で農作業をしたりしました。
エリファズはヨブがそんな人だということをたとえで説明しています。ヨブには大きい富と名誉があったのに、神様を裏切ったら、あっという間に子どもと財産を全部失った、悪性の腫物で苦しみながら食べる物もないみじめな運命になった、というのです。
エリファズはヨブをさばいて罪に定めるだけでなく、厳しく呪っていますが、これはねたみ、そねみがあるからです。過去、ヨブが豊かで、周りの人たちを助けて尊敬されていた時は、友だちもヨブを愛しているつもりだったし、親しく交わっていました。ところが、彼らの心の中にはいつもヨブに対する嫉妬がありました。憧れの対象だったヨブが今は滅びかけているので、心に潜んでいたねたみ、そねみが表に出ているのです。友だちはヨブの口から神様に立ち向かう言葉が出てくると、これを口実にして言いたい放題責めて、呪ってさえいるのです。
2. エリファズの厳しい呪い
「彼は富むこともなく、その財産も長くもたず、その影を地上に投げかけない。彼はやみからのがれることができず、炎がその若枝を枯らし、神の御口の息によって彼は追い払われる。」(ヨブ15:29-30)
これは、ヨブが二度と昔のように豊かになることもないし、財産も増えることはない、と言っているのです。「彼はやみからのがれることができず、」とは、ヨブが今経験している厳しい試練、患難からとうてい抜け出せないということです。そして「炎がその若枝を枯らし、」とは、根絶やしにするという意味で、一つ残らず完全に希望を失ってしまうということです。ヨブは災いから永遠に抜け出すことはできないという意味です。どれほどひどい呪いでしょうか。
それでは、「神の御口の息によって彼は追い払われる。」とは、どんな意味でしょうか。
神様は無から有を創造する方であり、ことばで天地万物を創造なさいました。このような神様の力は広大な宇宙と天地万物が一瞬で消え失せるようにすることもおできになります。まして小さい被造物にすぎないヨブを神様の御口の息によって「フーッ」と吹いてしまえば、それで終わりだという意味です。高ぶっておこがましい人、神様に聞き従わず立ち向かう人は、神様がこのように追い払わってしまわれるというのです。
この言葉自体は正しいのですが、ヨブには当てはまらず、エリファズが悪意を持ってヨブを呪う言葉です。
「迷わされて、むなしいことに信頼するな。その報いはむなしい。」(ヨブ15:31)
この言葉は、イエス様の時代のパリサイ人や律法学者、祭司長たちのことを考えてみれば、理解しやすいでしょう。彼らは神様を愛しているかのように話をしたし、律法を守ると言っていたし、自分では正しい人だと思っていました。ところが、イエス様は彼らを白く塗った墓のようだ、偽善者だと責められました。彼らは救い主として来られたイエス様が目の前におられるのにどなたかわからず、十字架につけてしまいました。
しかし、本人たちはモーセの律法を守って、神様を信じていると思っていたので、みずから欺かれて、滅びの道に向かってしまいました。エリファズはヨブをこのような偽善者扱いしているのです。「ヨブ、あなたは自分では正しい人だと思っていても、自分で自分を欺いているのだ。結局、あなたに臨んだのは滅びではないか。すべてを失って、何もないではないか」と言っているのです。
「彼の時が来ないうちに、それは成し遂げられ、その葉は茂らない。彼は、ぶどうの木のように、その未熟の実は振り落とされ、オリーブの木のように、その花は落とされる。」(ヨブ15:32-33)
「彼の時が来ないうちに、それは成し遂げられ、」つまり「ヨブが光を見ないうちに、今まで呪ったことが臨むだろうから、あなたが回復する可能性は全くない」と言っているのです。また、木は枝が生き生きしていて葉が茂ってこそ、花も咲いて実も結びますが、葉が茂る前に滅びが臨むというのです。つまり「あなたは終わりだ!」ということです。エリファズはヨブに、今後回復できるという希望も、何の望みも持つな、と言っているのです。
もし、ぶどうの実がたわわに実ったのに、熟する前に病虫害で全部落ちてしまうなら、どれほど空しいでしょうか。また、オリーブの花が雨風で早く落ちてしまえば、実を結ぶのに大きい支障があります。エリファズは、ヨブの運命がまさにこのようだと言っているのです。
ここで「ぶどうの実」の霊的な意味を調べてみましょう。
イエス様は弟子たちに「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。」(ヨハネ15:5)と言われました。ぶどうの木に枝がしっかりついていてこそ、花が咲いて実を結びます。もし枝が木から離れるなら、すぐ枯れてしまい、踏みつけられて、最後は火に投げ込まれるでしょう。
これと同じように、私たちがイエス・キリストから離れるなら、すなわち真理の中で生きていないなら、殻のような信者になって、さばきの日に地獄の火に落ちるしかありません。これは、ぶどうの木の未熟の実が振り落とされるようなものです。
私たちの信仰生活でもこういうことはよくあります。実がなっている木に雨風が吹きつけると、弱い枝は折れて、実はばらばらと落ちてしまいます。このように、敵である悪魔・サタンは私たちの周りの人々を通して試練をもたらしますが、この時、信仰が完全でないとか、真理に完全に立っていない聖徒は信仰を失って、主から離れてしまうこともあります。私たちはいつも目をさましていて、みことばの中で生きていなければなりません。そうしてこそ、どんな誘惑にも試練にも圧倒的な勝利者になることができます。
3. ヨブを神を敬わない者の仲間にたとえるエリファズ
「実に、神を敬わない者の仲間には実りがない。わいろを使う者の天幕は火で焼き尽くされる。」(ヨブ15:34)
エリファズはヨブを神を敬わない者だとさばいて罪に定め、こういう人には何の実りもないと言っています。また、ヨブをわいろを使う悪い者のように言っていますが、なぜこう言うのでしょうか。
ヨブが豊かだった時は多くの人に施しをしたし、弱い彼らを力づけて、徳と愛を施しました。そうすると、自然にヨブに助けてもらった多くの人々がいろいろな贈り物やお礼をしました。ヨブの友だちはこのように愛されてほめられているヨブをねたんで見ていたのですが、当時はそれが現れていませんでした。
ところが、言い争っていたら、前はそれとなくねたましく思っていた心が現れたのです。それで、ヨブがもらったお礼をわいろだと表現して、こういう人の天幕は火で焼き尽くされると呪っているのです。
「彼らは害毒をはらみ、悪意を生み、その腹は欺きの備えをしている。」(ヨブ13:35)
旧約聖書を読むと、これと似たみことばがたくさんあります。
「見よ。彼は悪意を宿し、害毒をはらみ、偽りを生む。」(詩篇7:14)、「正しい人の計画することは公正で、悪者の指導には欺きがある。」(箴言12:5)、「悪をたくらむ者の心には欺きがあり、平和を図る人には喜びがある。」(箴言12:20)とあります。エリファズはこのようなみことばを先祖から聞いて知っているので、そのまま引用してヨブに教えようとしているのです。
本文に「彼らは害毒をはらみ、悪意を生み、」とあるとおり、人は不法を頭で考えると、結局は悪い行いとして現れます。むさぼりのある人は「どうやって富を得ようか、どうやって人の財産を横取りしようか」とまず考えて、次にこれを心に植えつけます。この心が刺激されて、結局悪い行いとして出てきます。つまり、むさぼりがあるので思いを通してサタンの誘惑を受け入れ、結局詐欺や横領、盗みなどの悪い行いが出てくるようになるのです。
ですから、創世記6:5に、神様が洪水で世をさばかれる前に「【主】は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。」とあるのです。心に悪があるから、心に計ることも悪いのです。
しかし、心に悪がなければ、思いを通してサタンが働くことができません。マタイの福音書15:18に「しかし、口から出るものは、心から出て来ます。」とあるとおり、悪い心がなければ、悪い考えや行いが出てくることもないのです。
このように、心にある善と悪がどれほど強いかによって考えや行動が左右されます。善が多ければすべてを良いほうに考えますが、心にわだかまりや憎しみなどの悪があれば、すべてを悪いほうに考えて、言葉や行動が悪くなるのです。
エリファズは、ヨブの考えと心がこのように悪いので、大きい災いと滅びが臨んだと言っています。これまでのヨブの姿を見ると、神様の前に訴えて問い詰めるなど、悪くて高ぶっていたのは事実です。
しかし、これは試練が厳しいから現れたうわべの姿であり、ヨブはエリファズが言うように神を敬わない者ではありません。今、ヨブの友だちは心がひねくれているので、ヨブが以前行った善と徳までけなしているのです。
愛する聖徒の皆さん、
神様はヨブと友だちの話を通して、私たち人の子らの心をことごとく解剖してくださっています。ねたみ、そねみがあれば、他の人がうまくいったり愛されたりすると、おもしろくありません。また、相手と自分を比較して落ち込んだりもします。しかし、霊の愛は真理を喜びます。
したがって、ヨブ記講解で自分の心を省みて発見し、悪は根の根まで引き抜いて、真理の心に変えられる機会にしますように。
