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ヨブ記講解(34)

9月8日
読了時間: 9分

説教:イ・スジン牧師

本文:ヨブ記14:17~22,15:1~3


きょうは神様の愛を誤解しているヨブの言葉とエリファズの言い分を調べて、神様が私たちに望んでおられることが何かを伝えます。​


1. 神様の愛が変わったと誤解するヨブ​


「私のそむきの罪を袋の中に封じ込め、私の咎をおおってください。」(ヨブ14:17)


人は、貴重で大切なものをなくさないために、袋の中にしっかり入れておくことがあります。同じように「そむきの罪を封じ込める」とは、それを軽く見ないで重大に思い、厳しく取り締まるという意味です。神様が自分の歩みをいちいち数えて懲らしめておられる、そむきの罪と咎を封じ込めて、重罪人のように扱っておられる、という意味です。


まるで心が変わってしまった夫に文句を言う妻のように、ヨブは神様に向かって訴えています。「神様と私は愛し合っていたのに、突然、神様は私を嫌って、私のすべてのものを取り上げてしまいました。それは神様が私を憎んで、重罪人扱いしておられるということです。私の若い頃の罪も一つ一つあばきだしておられるのです」と言っているのです。


しかし、いくら苦しくてつらいことに会っても、私たちに対する神様の愛は変わらないということを信じなければなりません。聖書を読むと、私たちの父なる神様を夫と表現しているところもあります。「あなたの夫はあなたを造った者、」(イザヤ54:5)とあるし、特に雅歌では、私たちと神様の間を愛する恋人の関係、花嫁と花婿の関係にたとえています。


神様はヨブをこの上なく愛しておられる花婿なので、ヨブを美しい花嫁にしようと練っておられるのに、ヨブは悪い神様だと誤解しています。​


2. 人の望みを絶ち滅ぼされる神様だと誤解するヨブ​


「しかし、山は倒れてくずれ去り、岩もその所から移される。水は石をうがち、大水は地の泥を押し流す。そのようにあなたは人の望みを絶ち滅ぼされます。」(ヨブ14:18-19)


前はヨブには大きい山のような名誉があったし、財産もあって、権力もありました。からだも岩のように健康で、子どもも多く、大勢の人から尊敬される人でした。ところが、神様がそんな山と岩を崩してしまわれたので、もう何の役にも立たなくなったというのです。


水が数十年、数百年流れていると、これによって石が削られ、すり減って、だんだん小さくなります。また、水滴一つには力がないのですが、永い歳月ずっと落ちていると、硬い岩にも穴をあけます。


ところで、ヨブは少しずつ流れている水も硬くて大きい石をうがつことができると言った後に、なぜ「大水は地の泥を押し流す」と表現したのでしょうか。


ここで「大水」とは「神様の高さ」を表わしています。ヨブは、大水のように絶大な力のある神様が地の泥にすぎない自分を踏みにじって押し流してしまった、と言っているのです。このようにヨブは、神様が人の望みを絶ち滅ぼされる方だと誤解しています。


しかし、神様は私たちの幸せを望んでおられ、平安と希望を下さる方です(民6:24-26,哀歌3:33,エレミヤ29:11)。時に応じて神様が試練に会わせるのも、私たちを苦しめようとするためではなく、まずたましいに幸いを得ているようにして、さらに大きい祝福を受けるようにするためなのです。


3. 過去に執着してすべてを神様のせいにするヨブ


「あなたは、いつまでも人を打ち負かすので、人は過ぎ去って行きます。あなたは彼の顔を変えて、彼を追いやられます。自分の子らが尊ばれても、彼にはそれがわからず、彼らが卑しめられても、彼には見分けがつきません。」(ヨブ14:20-21)


ヨブは、絶大な力のある神様が地の泥にすぎない自分を最後まで追いつめて、打ち負かそうとしておられると言っています。それで自分の財産を奪って、健康も、家庭の平和もなくなるようにされたし、結局はいのちさえもよみに下らせようとしておられる、という意味です。


ヨブは、最初は神様にお願いもしてみて、後には恨んだり嘆いたりして、いろいろな方法を使ってみました。それでも神様から何の答えもないから、もうくちびるを制することなく、やけになって言いたいことをぶちまけているのです。


「あなたは彼の顔を変えて」とは、これまでヨブが感情をコントロールできなくて、神様の前に恨み、嘆き、顔色が変わったことを意味します。そして、それは当然のことで、すべては神様のせいだと言っているのです。


それでは「自分の子らが尊ばれても、彼にはそれがわからず」とはどんな意味でしょうか。ヨブは昔は豊かで尊ばれていました。そして、これは神様が祝福してくださったからだと信じたので、神様の前に感謝のいけにえをささげました。しかし、昔いくら幸せだったとしても、神様が全部取り上げてしまわれたので、覚えておく必要もないということです。だから、感謝する必要もないというのです。


また、ヨブは「彼らが卑しめられても、彼には見分けがつきません。」と言っていますが、これは自分が卑しめられているのに、自分では気づかない、ということです。ヨブはすべてを失ってみすぼらしくなっても、どれほど友だちを無視したでしょうか。


「友よ、私は正しくて、あなたがたより優れた知識と知恵が多いから、私の前では黙れ」というようなことを言ったし、神様の前にも高ぶった言葉で問い詰めました。ヨブは今低い立場にいるので、自分の卑しさを悟ってこそ悔い改めて立ち返れるのに、まだ気づかないでいます。


「私は前は尊ばれていたのに、神様がこんなふうにしてしまったのだ。なぜ私が卑しめられているのか」と問い詰めているのです。


私たちは今の自分を正確に悟って、問題の解決方法を探さなければなりません。「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:6)とあるとおり、すべてにおいて真理で照らして、自分を省みなければなりません。


もし経済的な問題、家庭、病気などの問題があるなら、明らかにそこには理由があります。「なぜこんなふうになったのか」 「なぜこんな病気にかかったのか」その理由を発見して立ち返ることが祝福です。そうではなくて、ヨブのように祝福されていた過去に執着したり、すべてを人のせいにしたりするだけなら、問題も解決されないし、何の発展もないのです。


「ただ、彼は自分の肉の痛みを覚え、そのたましいは自分のために嘆くだけです。」(ヨブ14:22)


ヨブは前は過去を振り返っていましたが、今は現実に帰って自分の痛みを見ています。現実は自分の肉が腐っていき、痛みで苦しくて悲しいというのです。自分が受けている今の苦しみも神様のせいだと言っています。ヨブはこれらすべてを自分のせいではなく、神様のせいにしているので、悟ることもできず、悔い改めることもできません。


私たちがみことばを信じて守り行うなら、どんな雨風も、洪水も、害を加えることはできません(マタイ7:24-25)。ですから、何か問題が起こったとき、神様のせい、人のせい、環境のせいにするのではなく、自分がみことばの上にしっかり立っていたのかを省みなければならないのです。


4. 言い争うことの無益さ


「テマン人エリファズが答えて言った。知恵のある者はむなしい知識をもって答えるだろうか。東風によってその腹を満たすだろうか。彼は無益なことばを使って論じ、役に立たない論法で論じるだろうか。」(ヨブ15:1-3)


ヨブの友だちは、前はヨブが知恵のある人だと思っていたのに、今はヨブの話を聞いてみると、愚かな人だとわかりました。ヨブが神様を悪い神様だとけなして、ずっと恨み、嘆き、激しい風のような言葉をぶちまけているからです。


それで「ヨブ、あなたが知恵のある人ならば、むなしい知識をもって答えるはずがない」と言っているのです。ヨブを全く無視して、愚か者だと言っているのです。


私たちは言い争うことがこのように無益だということを悟らなければなりません。もしヨブが友だちと言い争っていなかったなら、友だちがこのようにヨブを見くびることもなかったでしょう。


箴言9:10に「【主】を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。」とあります。もしヨブが神様を最後まで恐れていたならば、友だちから愚か者だと言われなかったでしょう。ところが、言い争っているうちに出てきた言葉が神様を恐れず、真理ではなかったので、結局、愚か者にされてしまったのです。


続いてエリファズは「東風によってその腹を満たすだろうか。」と言いましたが、これは、東から吹いてくる風は人にとって何の役にも立たないということです。つまり、ヨブの言葉が無益でむなしいことを風にたとえて表現したのです。


「彼は無益なことばを使って論じ、役に立たない論法で論じるだろうか。」とは、「ヨブ、あなたは風をつかもうとするようにむなしく無益な言い争いをしている。本当に愚か者だ」と言っているのです。


エリファズのこの言葉は間違ってはいないのですが、だからといって、このように責める姿勢が正しいのではありません。エリファズがいくらヨブを責めても、今のヨブには役に立たないからです。


ヨブは友だちのせいでだんだん感情的になって、心がひねくれています。これではいくら正しい言葉でも、心から受け入れられません。かえってもっと腹が立って、感情が爆発するかもしれません。


したがって、友だちがヨブの試練を長びかさせている張本人だということも悟らなければなりません。もし友だちがそばになかったとすれば、ヨブは言い争わなかったでしょう。ただ静かに考えて悔い改めるべきことを探していれば、これほど試練が長びくこともなかったでしょう。


ヨブの友だちのように、私たちがどんな言葉を口にするかによって、相手を悲しませて苦しめ、敵になることもあることを悟るべきです(箴言10:19)。いくら良い正しい言葉でも、言い争いは何の利益ももたらさないので、相手が受け入れない時は話をやめなければなりません。


私たちが福音を伝える時や、聖徒を訪問する時も同じことです。真理を受け入れる人には与えますが、かえって言い争って神様の栄光を遮る人には、それ以上言わないほうがいいでしょう(マタイ7:6)。これは、真理を受け入れない人には伝道してはならないという意味ではなく、神様に祈って、聖霊の声を聞いて、善の知恵をいただいて伝えなければならない、ということです。


愛する聖徒の皆さん、


まことの信仰がある人ならば、今、苦しい目に会っていても、過去、自分に下さった神様の恵みを思い出して感謝します。問題にぶつかって、つらい事が起こっても、神様は生きておられ、いつも愛をもって見守っておられます。このように変わらない神様を信じるならば、どんな苦しみや逆境にも十分勝利できます。


聖徒の皆さんも、問題が起こったとき、気を落として信仰を失うのではなく、ただ生きておられ、変わらず自分を愛しておられる神様だけを仰ぎ見ますように。そして、試練をきっかけに信仰が成長し、より大きい祝福を受けますよう、主の御名によって祈ります。

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