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ヨブ記講解(29) - 高ぶりの極みを見せるヨブ

9月8日
読了時間: 9分

説教:イ・スジン牧師

本文:ヨブ記12:22~13:9

きょうは高ぶりの極みを見せるヨブの姿によって自分を省みて、神様のみこころが何か調べてみます。


1. 予定の神様だとさばくヨブ


「やみの中から秘密をあらわし、暗黒を光に引き出す。神は国々を富ませ、また、これを滅ぼし、国々を広げ、また、これを連れ去り、」(ヨブ12:22~23)


「やみの中から」とは、隠されている状態を表現しています。ヨブは先祖から神様について聞いて知っているだけで、神様を見つけて体験したことがなかったので、神様の存在をぼんやりと認識していました。神様の恵みと愛も漠然と感じているだけでした。


このように神様についてすべてがぼんやりした状態で、ヨブは自分なりに神様を信じて従ってはいました、しかし、今はどんな神様なのかはっきりしたというのです。神様はあらかじめ定めておいて、やみの中から秘密を現わすことによって、自分に厳しい試練や患難が臨むようになったと思っているのです。


ヨブは先祖の生き方や自分の境遇を見ても、あらかじめ苦しみに会うように定めておられたと強く批判しています。しかし、私たちは予知して予定される神様が人類を救うための摂理に従ってすべての歴史をつかさどっておられることを知っています。イスラエルの歴史を見ても、異国を用いてイスラエルを試練に会わせられたのは、何としてでも民が偶像を捨てて、まことの神様のもとに帰れるように導く、神様の切なる愛でした。​


「暗黒を光に引き出す。」とは、ヨブが前は明るい世の中で輝くような暮らしをしていたのに、あっという間に死が自分に迫ってきたということです。神様が光の中にいた自分を、暗黒の死んだような状態に置かれたと言っているのです。これもまたヨブがひねくれて神様を誤解してさばく言葉です

神様は闇の中にある私たちの罪を明るみに出して捨てられるようにされ、私たちを新しく変えられるようにしてくださいます。暗黒を光に引き出して苦しめるのではなく、やみの中から引き出して、いのちと光を下さる神様です。


私たちは、神様を知る前は世の闇の中で生きていました。ところが、神様が上から光を照らしてくださったので、私たちが心の戸をあけて、光である神様のみことばを受け入れるようになりました。それで、闇から光へと出て来ていのちを得、永遠のいのちの道を歩めるようになったのです。


このように慈しみ深い神様をヨブは正反対に解釈しています。ヨブは本来知恵のある人なのに、不満と恨みがつのったら、神様を誤解して悪をもってさばく愚かな人になっています。負の感情というものがこのように恐ろしいということを悟って、心の中の不満や物足りない気持ちを大きくしないで、すべてのことで良いほうに思って自分を治めていきますように。


ある国が栄え、また滅びるのは、神様がそうさせたのではなく、独裁者が出てくるのも神様がそうさせたのではありません。しかし、ヨブは、これらすべては神様が定めておられたからそうなったのだと言っています。


もし神様がすべてを定めておいて強制的に行われるならば、人は自分の過ちで事業がつぶれても「神様が私に知恵を下さらないから…」または「神様が私の計画を狂わせたから…」と失敗の原因を神様のせいにするでしょう。


そして、罪を犯した後でも悔い改めないで、「神様が定めておかれたので私は罪を犯しました」と言えばいいでしょう。それなら、さばきの日に地獄の判決を受けた人も「神様が私を悪い人として造って罪を犯させたのではないですか」と言うでしょう。この時、神様がどう答えられるでしょうか。


ヨブはひねくれて神様を誤解してさばき、ますます愚かな考えで神様を非難しています。このように心に負の感情、悪があれば、その思いをサタンが支配するので、ますます悪に偏るのです。


「この国の民のかしらたちの悟りを取り除き、彼らを道のない荒地にさまよわせる。彼らは光のない所、やみに手さぐりする。神は彼らを酔いどれのように、よろけさせる。」(ヨブ12:24~25)


ここで「かしら」とは、団体のリーダー、指導者、統治者、軍隊の長などを意味します。教会では主のしもべや働き人たちがこれに該当します。


ある組織のかしらになるためには、悟りが必要です。知恵も必要だし、頭の回転が早く、その一方で思慮深く、すべてにおいて慎重で、失敗があってはなりません。このような悟りがなくなるなら、かしらとしての資格を失うことになります。


ヨブは、自分は今まで人を教えるかしらだったのに、神様が悟りを取り除いてしまうと、もう何者でもなくなったということを、たとえで説明しています。それで神様はヨブを光のない所、やみ、すなわち死の陰の谷をさまよわせ、酔っぱらいのようによろけさせてしまったと言っています。


前回調べた内容とつなげて考えてみれば、ヨブは神様の全能さと偉大さを認めて、正しいことを言っているようでしたが、いつそう言ったかのように正反対のことを言います。


ヨブが正しいことを言う時は良い人のように見えたのですが、正しくないことを主張する時は悪い人のように見えます。まるで酔っぱらいのように、あちこちによろけている姿です。まだ自分の状態を悟れないまま、このように酔いどれのたとえまで挙げて、予定の神様、悪い神様だと言っているのです。


2. 高ぶりの極みを見せるヨブ


「見よ。私の目はこれをことごとく見た。私の耳はこれを聞いて悟った。あなたがたの知っていることは私も知っている。私はあなたがたに劣っていない。だが、私は全能者に語りかけ、神と論じ合ってみたい。」(ヨブ13:1~3)


「私の目はこれをことごとく見た。私の耳はこれを聞いて悟った。」とは、ヨブが今まで友だちの言ったことだけでなく、自分が言ったことを全部知っているということです。


ヨブは高ぶって友だちに「あなたがたが知っていることは私も知っている。あなたがたに劣ってはいない。もうあなたがたを相手にしたくない。全能者の神様と論じ合ってみたい」と言っているのです。ヨブは多くの人を教えて弱い人々を助けるなど、正しい行いをしていたので(ヨブ4:3~4)、自分は友だちより当然優れていると思っているのです。


ヨブは友だちの話を聞かないで、ますますそれて行きます。それは、友だちが完全な姿ではなく、感情的になってヨブを正そうとしたからです。ですから、友だちを信頼できなかったのです。


しかし、イエス様はみことばどおりに行っていないのに口の言葉だけはもっともらしいパリサイ人を叱責された後、弟子たちには「ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行い、守りなさい。けれども、彼らの行いをまねてはいけません。」(マタイ23:3)と言われました。したがって、私たちは悪い人の行いはまねてはいけませんが、その言葉が真理ならば「アーメン」と言って受け入れられる謙遜な心になりましょう。


ヨブは9章で、神様に呼んでも神様は聞いてもくださらないと言ったし、たとえ神様が聞いて答えてくださったとしても、自分は信じないと言いました。また、自分がどうして神様とことばを交わせようかとも言いました。


ところが、自分がこう言ったのを忘れて、今は神様と論じ合ってみたいと言っています。なぜヨブは言葉に一貫性がなく、ああ言ったりこう言ったりするのでしょうか。


これは、ヨブが自分の心を知らないまま、口から出てくるとおりに、考えていることをそのまま口にしているからです。ああ言ったりこう言ったりする、ずる賢い心があるのです。


私たちの周りでも、自分が言ったことを覚えていないことがどれほど多いでしょうか。ある人は同じ内容のことできのうときょうで全然違う話をします。これは、初めから嘘をついていたか、でなければ自分が言ったことを忘れてしまったのかのどちらかでしょう。私たちは何かの話をする時は心から出てくる言葉を口にすべきなのに、ただ思ったことをそのまま口に出してしまうから、自分が言ったことも覚えていないのです。


思ったことをそのまま口にする人は、きのう言ったことにも責任を負いません。私たちはいつも責任を負えるような言葉を口にしなければならず、口にしたら責任を負うべきです。


心が真っ直ぐでずる賢くなく、正しくて真実な人は、きのう言ったことときょう言った言葉が違うことはありません。自分の口の言葉はどうなのか、その言葉をどれほど守っているのかを省みても、心の中にある真理と反対のものを見つけることができるのです。


また、神様は人との間でも言い争ってはならないと言われましたが、ヨブは神様と論じ合ってみたいと言っているので、その心がどれほど頑なになっているのかがわかります。


「しかし、あなたがたは偽りをでっちあげる者、あなたがたはみな、能なしの医者だ。ああ、あなたがたが全く黙っていたら、それがあなたがたの知恵であったろうに。」(ヨブ13:4~5)


ヨブは友だちのことをよく知っていました。友だちが偽りをでっち上げる人、真実でない人だったので、彼らの話を聞こうとしなかったのです。普段から友だちが言葉と行いが違う偽善者だということを知っていたのです。


もし病気を治す医者が偽りを言う人なら、どうしてその人に手術を任せることができるでしょうか。ヨブは友だちが脳なしの医者のように信じられないので、彼らに黙っていなさいと言います。また、黙っていることが知恵あることだと付け加えています。韓国に「黙っていれば損はしない」ということわざがあるように、いっそ何も言わないで黙っていれば、愚か者とは思われないということです。


ヨブは知恵が優れていたし、知識も優れていた人でした。その上高ぶっているので、誰があえてヨブを相手にして言い負かすことができるでしょうか。友だちのどんな助言も聞かないで、かえってさげすんでいるので、ヨブの高ぶりを誰が指摘することができるでしょうか。


神様がなぜひどい悪性の腫物ができるようにされたのか、ここでわかるのです。もし神様がそのように働いてくださらなかったなら、ヨブは決して神様に降参しなかったでしょう。


もし自分より認められている人が助言してくれるなら「アーメン」と言って聞き入れるのに、自分より劣ると思っている人が助言すると無視するなら、これは高ぶっているからです。相手の言葉を無視はしなかったとしても、悔しくなってムッとするなら、またはその言葉に傷ついたとすれば、助言や指摘を受けられない小さい器です。相手が誰であっても、その言葉が真理ならば謙虚に受け入れてこそ幸いな人であり、本当に神様を愛する人です。


愛する聖徒の皆さん、


高ぶっている人は他の人が正しいことを言っても聞かないで、自己主張だけします。高ぶりは真実を見る心の目をくらますので、みずから欺かれる場合が多いです。正しくない道を歩みながらも、自分は正しい道を歩んでいると思い、人が見て正しくないのに、自分はよくやっていると思います。したがって、すみやかに高ぶりを捨てて謙虚な人になり、神様と人から称賛と光栄を得る皆さんになりますよう、主の御名によって祈ります。

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