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ヨブ記講解(28) - 自分の妥当性を主張するヨブ

9月8日
読了時間: 10分

説教:イ・スジン牧師

本文:ヨブ記12:7~22

きょうは創造主の神様の力と神性を高めるふりをして、結局自分の妥当性を主張するヨブの本心について調べてみます。


1. 神様の力と神性を高めるヨブ


「しかし、獣に尋ねてみよ。それがあなたに教えるだろう。空の鳥に尋ねてみよ。それがあなたに告げるだろう。あるいは地に話しかけよ。それがあなたに教えるだろう。海の魚もあなたに語るだろう。これらすべてのもののうち、【主】の御手がこれをなさったことを、知らないものがあろうか。すべての生き物のいのちと、すべての人間の息とは、その御手のうちにある。」(ヨブ12:7~10)


神様はことばで天地万物を創造されました。天と海、地、山川草木など、万物に神様の力と神性を込めておかれて、誰でも創造主の神様を信じられるようにしてくださいました(ローマ1:20)。


神様はワシのように大きい鳥だけでなく、ハエや蚊、カゲロウのように小さい昆虫もうまく飛べるように造られました。ヨブはこのような神様の力と知恵を認めているので、獣、鳥、地、魚のうち「【主】の御手がこれをなさったことを、知らないものがあろうか。」と言っています。


次に「すべての生き物のいのちと、すべての人間の息とは、その御手のうちにある。」と言っていますが、ここには霊的な深い意味も込められています。


まず「生き物」とは、動物と植物を含めて息のあるすべてのものです。ここでヨブは「いのち」と「息」という単語を使っています。ヘブライ語の原文を見ると「いのち」には「たましい」、「息」には「霊」という意味があります。


私たちが「霊・たましい・肉」で学んだ「たましい」とは、脳の記憶装置とその中に保存された知識、そしてその知識を引き出す作用のことです。また「霊」とは、死んだり朽ちたりしないで変わらないもの、永遠にあるもの、いのち、真理そのものを言います。

ところが、ヨブはこのようなことを知らないので、自分が持っている知識だけで説明しています。ヨブが言っている「いのち」すなわち「たましい」はただの思考能力を意味し、「息」すなわち「霊」は、悟りを得てすべてを分別する力を意味しています。動物は本能によって生きているだけで、悟りを得たり、分別力を持つ力はありません。ですから、ヨブは神様は動物には考える力を下さって、人には悟りを得て分別力を持つようにしてくださった、このすべては神様の摂理によるものだ、という意味で「すべての生き物のいのちと、すべての人間の息とは、その御手のうちにある。」と言っているのです。


ところが、神様が教えてくださった「いのち」と「息」には先ほど言ったような霊的な意味があり、どちらも神様の御手のうちにあるということを覚えておきましょう。


「口が食物の味を知るように、耳はことばを聞き分けないだろうか。老いた者に知恵があり、年のたけた者に英知があるのか。知恵と力とは神とともにあり、思慮と英知も神のものだ。」(ヨブ12:11~13)


私たちの口の中に舌があって、苦い、甘い、塩からいなどがわかるように、耳には聴覚があって、音を聞き分けることができます。ヨブはこのような力を神様が人に下さったと言っています。


また「老いた者に知恵があり、」とは、人が年を取るほど経験を通して思考力や分別力、判断力が大きくなり、人生の知恵が増えることを言います。続いてヨブは「老いた者」と区分して「年のたけた者に英知があるのか。」と言っています。ここで「老いた者」とは、単に歳月が流れて老人になった人を意味しますが、「年のたけた者」とは「健康に長生きする人」を意味します。


「英知」とは、深く物事の道理に通じる才知という意味です。つまり、人生の経験を積んで、分別力と洞察力をもって事をやり遂げること、自分を望ましい人間へと高めていくことを言います。「思慮」とは、何かをやり遂げるために準備するすべてのはかりごとを言います。


ヨブは神様が老いた者と年のたけた者にこのような力を下さったと言うのです。続いてヨブは「知恵と力とは神とともにあり、思慮と英知も神のものだ。」と言っています。ここまではヨブが神様を高めているようで、その言葉は正しいです。しかし、本当にヨブが言いかったことは次の節にあります。


2. ヨブの本心


「見よ。神が打ちこわすと、それは二度と建て直せない。人を閉じ込めると、それはあけられない。見よ。神が水を引き止めると、それはかれ、水を送ると、地をくつがえす。力とすぐれた知性とは神とともにあり、あやまって罪を犯す者も、迷わす者も、神のものだ。」(ヨブ12:14~16)


ヨブは、神様が打ちこわすと、二度と建て直せず、人を閉じ込めると、あけられないと言っています。これは、ヨブのように正しくて潔白で神様を恐れている人を、神様が厳しい試練で打ちこわして閉じ込めてしまったと言っているのです。


しかし、神様は何の理由もなく打ちこわしたり、人を閉じ込めたりする方ではありません。そういうことは敵である悪魔がすることであり、試練や患難、病気をもたらすのも敵である悪魔です(第一ペテロ5:8)。人が不義を行い、罪を犯せば、その報いとして敵である悪魔・サタンが試練をもたらすのです(創世記3:14)。


しかし、たとえ人が罪を犯して倒れたとしても、悔い改めて立ち返るなら、神様は赦して、また機会を下さいます。イエス様を三度も知らないと言ったペテロも、心を砕いて罪を告白すると、神の力を行うしもべとして立ててくださいました。


エジプトから出て来たイスラエルの民がカナンの地に入る旅路で、神の力で葦の海が分かれて、ヨルダン川の水がせきとめられたこと、それで民が海と川の乾いた地を歩いて渡ったことなどを、ヨブは聞いて知っていました。これについてヨブは「神が水を引き止めると、それはかれ、」と言っています。


また「水を送ると、地をくつがえす。」とは、洪水になると山崩れが起こって、地面が割れて地がくつがえされる現象を説明しています。神様は全能なので、地をくつがえすこともされ、あやまって罪を犯すことも、迷わすようにもされる悪い神様だと言っています。


あやまって罪を犯す者も、迷わされる者も、神様がそうさせたのですから、潔白で正しいヨブも神様からこのような苦しみを受けてさげすまれ、卑しめられているのだと訴えているのです。


ヨブはその前に神様の全能さと偉大さを表現しました。しかし、これは神様をあがめようとする目的ではなく、こういう力のある神様が正しい自分をこのように苦しめたのだと説明しているのです。友だちに悪い神様として認識させるために高度な作戦を使っているのです。


ヨブは、あやまって罪を犯す者も、迷わす者も、神のものだと言って悪い神様に仕立てていますが、私たちの神様は決してそんな方ではありません。世には「どうすれば楽して金を儲けられるだろうか、どうすれば人をだまして金持ちになれるだろうか」と悪知恵を使う人々がいますが、これはサタンが与える知恵です。偽りと欺きは敵である悪魔・サタンの属性だからです(ヨハネ8:44)。神様が私たちに下さる知恵はイエス・キリストを知る知恵、救われる知恵、聖められる知恵です。


「神は議官たちをはだしで連れて行き、さばきつかさたちを愚かにし、王たちの帯を解き、その腰に腰布を巻きつけ、祭司たちをはだしで連れて行き、勢力ある者を滅ぼす。」(ヨブ12:17~19)


ヨブは信仰の昔の人々を通してイスラエルの歴史について聞きました。聖書を読むと、ある議官がいくら優れた策略を立てても、神様がそのはかりごとを打ちこわしてしまえば、何の役にも立たなかったことがわかります。


たとえば、アヒトフェルはダビデ王の臣下として非常に優れた議官で、戦略家でした。ところが、アブシャロムが反逆した時に、彼はダビデを裏切ってアブシャロムに加担しました。しかし、神様が彼のはかりごとを打ちこわそうと決めておられたので成功しなかったし、ついに勝利は神様がともにおられるダビデ王に帰しました。


また、周りの国が連合して数十万の軍隊でイスラエルに侵略して来ても、神様が働かれると同士討ちが起きて、一瞬にして滅びてしまったことも、ヨブは聞いて知っています。ですから、ヨブはいくら議官が良い知恵を出しても、神様がその知恵を打ちこわしてしまえば負けるしかないと言っているのです。


また、ヨブは神様は「さばきつかさたちを愚かにし、」と主張します。さばきつかさ、つまり裁判官は公平な裁判をしなければなりません。ところが、神様が裁判官が愚かな判決を下すようにさせるというのです。


ヨブが言いたいことは、神様は正しくないので、正しい自分をこのように苦しみに会うようにしたということです。神様は裁判官に愚かな裁判をさせる方なので、そういう神様も愚かなさばきをされるに違いないということを、たとえで説明しているのです。


「王たちの帯を解き、その腰に腰布を巻きつけ、」とは、神様が王の権力をなくすということです。ヨブはイスラエルの歴史で王たちも捕虜になって殺されたことを思い出して、このように言っているのです。


また、ヨブの目には正しく見える祭司たちも捕虜になったり殺されたりして、権力のある人々があっという間に滅びるのも歴史から知りました。ヨブはこれらすべてのことを神様がされたのではないかと、たとえを使って訴えているのです。


3. 自分の妥当性を主張するヨブ


「神は信頼されている者の弁舌を取り除き、長老たちの分別を取り去り、君主たちをさげすみ、力ある者たちの腰帯を解き、」(ヨブ12:20~21)


ヨブが歴史を見ると、サウル王は神様の前に忠実で信頼されていたのに、神様は彼を退けたと思いました。しかし、サウルは高ぶりと私心をもって肉の思いを巡らして不従順を繰り返すことによって、結局神様が退けたのです。ヨブはこのような出来事に込められた神様のみこころがわからないから、「神は信頼されている者の弁舌を取り除」く方だとさばいているのです。


また、神様は長老たちの分別を取り去るのではなく、人が老いても健康で、さらに思慮深くあることを望んでおられます。ふつう人は年を取るほど記憶力が衰えたり、判断力が鈍くなります。ヨブはこれも神様がそうなさったのだと主張していますが、実は人が自分からそうなっていくのです。


モーセのように神様を愛して恐れる人は、年を取っても健康で頭が冴えていました(申命記34:7)。神様を信じない人々でも、心が良くて正しく生きている人はきれいに老いていくのが見られます。


「君主たち」とは、指導者の地位にいる人を言います。もしヨブが言うように神様が組織を導く指導者をさげすまれるならば、どれほど悪い神様でしょうか。しかし、そうではないのです。また「力ある者たちの腰帯を解き、」とありますが、ここで「腰帯」とは、その人を意味する象徴的なものを指します。たとえば、サムソンにとって腰帯は髪の毛でした。サムソンが髪の毛を切られてしまうと力を失い、両目がえぐり出されてあざけられました。


それなら、ヨブの強い腰帯は何だったのでしょうか。高い知識と知恵、富と名誉、多くの人を教えられる力、尊敬される地位などでした。ところが、神様がこんなに力ある自分の腰帯を解いてしまわれたと思っています。


ヨブは友だちが反論するのではないかと思って、まるで人の話をしているかのように遠回しにたとえを使っています。つまり「神様は君主たちをさげすみ、力ある者たちの腰帯を解く方だから、私の腰帯も神様が解いてしまわれたのではないか」と言っているのです。


愛する聖徒の皆さん、


ヨブも試練に会う前は、自分に悪があることを知らないほど行いの面では完全でした。心をご覧になる神様が練ってくださって、ヨブの本性の中にある悪を明らかにされたので、はじめて自分の本当の姿を発見するようになったのです。そして、一つ一つ捨てる過程を通して、神様が認める善の姿に変えられて、祝福を豊かに頂くようになったのです。


したがって、毎回メッセージでヨブの姿の中に自分を発見して変えられ、祝福されるような美しい心になりますよう、主の御名によって祈ります。

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