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ヨブ記講解(19) - 予定の神様だと誤解しているヨブ

9月7日
読了時間: 9分

説教:イ・スジン牧師

本文:ヨブ記9:3~12


1. 神様を独裁者だと誤解しているヨブ


「たとい神と言い争おうと思っても、千に一つも答えられまい。神は心に知恵のある方、力の強い方。神に身をこわくして、だれがそのままで済むだろうか。」(ヨブ9:3~4)


「たとい神と言い争おうと思っても」とあります。被造物である私たちはあえて創造主なる神様と言い争うことはできず、神様の前にただ聞き従って恐れなければなりません。神様は私たちを 造った方であり、光そのもので完全な方、正しい方だからです(第一テモテ6:16,第一ヨハネ1:5, 申命記32:4,出エジプト33:20)。被造物にすぎない人が神様の千のことばに一つも答えられな いのは、あまりにも当然のことです。


ところが、ヨブは神様の知恵について深く理解しているわけではありませんでした。ただ神様は知恵のある方で、力の強い方なので、独裁者のように思いのままに自分の子どもたちと財産を みな取り上げて、病気で苦しめておられると思っていたのです。このようにすべてを取り上げる神様の前に、自分は言いたいことは何も言えない、ということです。


しかし、私たちは「十字架のことば」に込められた救いの摂理を聞いたので、神様の知恵がどれほど深くて妙なるものなのか知っています。


神様は人が罪を犯して死に向かうことを知っておられ、この問題を解決するために、なだめの供え物としてイエス様を世界の始まる前から備えておられました(第一コリント2:7)。敵である悪魔・サタンはイエス様を殺しさえすれば、自分がアダムから任された権力を永遠に持てることを知っていて、悪い人々を操ってイエス様を十字架につけさせました。


まさにここに神様の知恵があったのです。イエス様を殺すことによって敵である悪魔・サタンはかえって自分の計略にはまって、神様の摂理を実現する道具になってしまったのです。イエス様は原罪も自分で犯した罪もないので、殺される理由がなかったのです。それでも敵である悪魔は罪のないイエス様を殺したので、これによって「罪から来る報酬は死」(ローマ6:23)という霊の世界の法を破ったのです。


敵である悪魔は法を犯した代価として、自分の権力、すなわち肉の人を支配して死に引いて行く権利を放棄するしかなくなりました。イエス様は十字架につけられて死なれましたが、罪がないので死の力を打ち破ってよみがえられ、これによって主を信じる人はみな救われるようになったのです。このように敵である悪魔・サタンの陣を砕いて死の力を打ち破られたのは、神様の知恵であり、強い力です。


しかし、ヨブはこのように愛の摂理が込められた神様の力と知恵を言っているのではなく、「強い力と知恵で思いのままにされる神様」だと誤解しています。それで、もし人が強くて知恵のある神様の前に身をこわくするなら、そのままで済まないと言っているのです。


ヨブが言ったとおり、身をこわくして神様のみことばどおりに生きていない人は、神様から祝福を受けて栄えることはできないでしょう。ところが、ヨブはこのように正しいことを言っていながらも、自分はというと、神様の前に身をこわくして、心を頑なにしていることを悟れずにいました。友だちがいろいろと真理でアドバイスしたのに耳を傾けなかったし、悔い改めようともしなかったのです。


2. 予定の神様だと誤解したヨブ


「神が山々を移されるが、だれもこれに気づかない。神は怒ってこれをくつがえされる。神が地をその基から震わすと、その柱は揺れ動く。神が太陽に命じると、それは上らない。星もまた封じ込められる。神はただひとりで天を張り延ばし、海の大波を踏まれる。神は牡牛座、オリオン座、すばる座、それに、南の天の室を造られた。神は大いなることを行って測り知れず、その奇しいみわざは数えきれない。」(ヨブ9:5~10)


神様は全知全能のお方ですが、だからといって怒って山をくつがえして思うままに移すとか、理由もなく地をその基から震わして、その柱を揺さぶる方ではありません。


ヨブは、神様はすべてをあらかじめ定めておかれ、容赦なくその計画どおりに動かれる方、すなわち「予定の神様」だと誤解しています。それで、自分は何の過ちもなくて正しいのに、神様が勝手に決めて自分をこのように滅ぼされたというのです。神様にすべての責任をなすりつけている姿です。


神様は私たちが幸せになることを望んでおられ、良いものを与えたいと思っておられるのに、ヨブはこのような神様の愛をあまりにも知らずにいます。そして、神様の公義についても知らなかったので、相変わらず自分は理由もなく苦しみを受けていると思っていました。


そして「神が太陽に命じると、それは上らない。星もまた封じ込められる。」と言っていますが、神様はヨシュアの祈りを聞いて太陽と月がとどまるようにされたことはありますが、太陽に命じて上らないようにされたことはありません。


夜空には多くの星がありますが、それぞれに位置があります。それで、ヨブはそれぞれの星の位置が変わらないという意味を「神様が星を封じ込められた」と表現しています。ヨブは、まるで神様が主権をもって好きなように造っておかれたかのように表現していますが、神様は星一つも霊の世界の法則に合わせて適切な位置に置かれました。


本文に出てくる牡牛座は黄道十二宮の一つで、オリオン座は天の赤道上にあって牡牛座の東

にある星座、すばる座は単独の星座ではなく、牡牛座の一部分の星団です。ヨブは神様の主権を説明するために、いろいろな星座を挙げています。


神様は太陽と月、すべての星を造られ、それらの間に運行の秩序と法則を立ててくださいました。ところが、ヨブは、神様に知恵があって強いので、思いのままに星を封じ込めて、あらゆる奇しいみわざを行っているように、自分にも予定したまま苦しみを与えたと誤解しています。


このようにヨブが知っている神様は予定の神様で、恐ろしい神様で、独裁者のような神様でした。しかし、私たちは予知予定の神様で、愛の神様で、正しいさばきをなさる方であることを知っています。


予定論では、神様がすでに人類の歴史と人の生死禍福などすべてを定めておかれたので、私たちの救いもすでに決まっていると主張します。それで、一度救われたと決められたなら、それが最後まで変わらないと言います。


反対に予知予定とは、神様はすべてをあらかじめ知っておられるので、それに合わせてすべてを定めておかれるということです。もしヨブが言うように予定の神様ならば、すべての人の救いの可否はすでに決まっているので、救われるために努力する必要もないでしょう。


しかし、神様は思いのまま、容赦なく定めておいたとおりに行う方ではありません。それなら人間に自由意志を下さる理由がないでしょう。救われる人をあらかじめ選んでおいたのではなく、誰でも自由意志によって救いの枠の中に入ってくれば救われるように定めておかれた、予知予定の神様であることを知っておくべきです。


本文で「南の天の室」とは、この地上のどこかに実際に存在する場所ではありません。ヨブが考えるに、北よりは南のほうが暖かいし、花もたくさん咲きます。また、南から暖かい風も吹いてくるので、ヨブは「おそらく南には豊かで美しい天の室があるようだ」と思ったのです。それで、神様が南の天の室を造って、「大いなることを行って測り知れず、その奇しいみわざは数えきれない。」と表現したのです。


聖書を読むと、エジプトに下された十の災い、葦の海が分かれて、エリコの城壁が崩れ落ちたなど、神様が行われた奇しいみわざがたくさん書かれています。人間耕作が始まってから今まで、神様が行われた奇しいみわざはどれほど多いでしょうか。


この時代にも、この教会を通して数えきれないほど不思議としるし、驚くべき奇蹟と奇しいみわざが現れています。これは、神様が予定して思いのままに働かれたのでなく、正確な秩序と公義、そして愛によって行われたのです。


しかし、ヨブは予定の神様だと誤解して、自分も神様の予定の中に入っていて、何の理由もなく苦しみを受けていると思っています。ですから、自分の過ちを発見することもできず、悔い改めることもできないのです。


3. 質問を許されない悪い神様だと誤解しているヨブ


「たとい神が私のそばを通り過ぎても、私には見えない。神が進んで行っても、私は認めることができない。ああ、神が奪い取ろうとするとき、だれがそれを引き止めることができようか。だれが神に向かって、『何をされるのか』と言いえよう。」(ヨブ9:11~12)


ヨブは、神様が本人のそばを通り過ぎても見えないし、認めることもできないと言っていますが、そうではありません。


私たちが心の戸を開いてイエス・キリストを救い主として受け入れれば、聖霊を賜物として受けるようになります。聖霊を受けた人ならば、神様が臨在されるとき、感じて悟ることができます。


聖霊時代である今は、神様ご自身が臨在されることはあまりありませんが、聖霊の働きを通して神様を感じるようにしてくださいます。何よりも救いの確信が生まれて、祈りに答えてくださるのを体験するので、喜びと希望があふれます。


聖霊様はいつも私たちとともにおられ、温かい愛で慰めてくださり、世が与えられない喜びと平和を注いでくださいます。聖霊に満たされれば、異言の賜物を受けて、スラスラ異言も語ります。聖霊の火のバプテスマを受ければ、実際に熱さも感じて、いやされ、各種の賜物も受けるなど、霊的な体験もします。みことばどおりに生きているほど、聖霊の働きによって真理と真理と反対のものを見分ける判断力も与えられます。


また、私たちは神の子どもとされたので、神様が炎のような御目で守ってくださり、私たちの髪の毛まで数えておられることも知っています。このように、私たちは聖霊の働きによって神様を感じて悟ることができます。


しかし、ヨブはこのような体験がなく、感じたこともなかったので「たとい神が私のそばを通り過ぎても、私には見えない。」と言っているのです。


ヨブはまた、神様が自分の子どもと財産と健康を全部取り上げてしまったから、悪い方のように言っています。それなのに、その神様に対して「神様、どうして容赦なく取り上げられるのですか」と問い詰めることもできないと嘆いているのです。


しかし、神様は子どもたちのものを奪い取るような方ではありません。求める者には与え、捜す者には見つかるようにして、たたく者には開こうと約束されたのに、ヨブは正反対のことを言っています。


神様は子どもたちが些細なことでも神様に伺うことを望んでおられ、神様の答えを受けて栄えるように望んでおられます。


愛する子どもたちには夢や幻、聖霊の声、霊感などで交わり、働いていかれます(アモス3:7)。愛の求め、義人の求めをお聞きになって答えてくださり、私たちの質問を面倒だと思われるのではなく、耳を傾けて優しく答えてくださる方です。詩篇145篇18節に「主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに【主】は近くあられる。」とあるとおり、神様は心から慕って呼び求める人に必ず答えてくださいます。


しかも今日は旧約時代とは違い、聖霊を水のように注いでくださる終わりの時なので、聖霊を受けた神の子どもたちは誰でも聖霊の声を聞いて、神様のみこころのとおりに導かれることができます。


次の時間に続いて伝えます。

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