ヨブ記講解(17) - 原因と結果
説教:イ・スジン牧師
本文:ヨブ記8:1-11
きょうはヨブの二番目の友だちビルダデがヨブに勧めている言葉を調べて、神様が私たちに望んでおられることが何かを伝えます。
1. 激しい風のような言葉
「シュアハ人ビルダデが答えて言った。いつまであなたはこのようなことを語るのか。あなたが口にすることばは激しい風のようだ。」(ヨブ8:1~2)
ヨブがずっとつぶやいて嘆いているのを聞いていたビルダデは「ヨブ、君は前は正しい人だと 言われていたし、多くの人を訓戒して尊敬されていたのに、今、苦しみにあっているからといって、 このように激しい風のような言葉を口にしていいのだろうか」と言います。
ヨブの言葉を激しく吹きまくる強い風にたとえているのです。台風が来ると、木が抜けたり、家 が壊れたり、船が壊れたり、山崩れで多くの人が死んだりするなど、多くの被害を受けます。
ところで、クリスチャンだと言いながらみことばの中で生きられないで、ヨブのように真理と反 対のことを言っているならば、神様はその言葉を激しい風のようだと言われます。
相手の心を痛める言葉、攻撃する言葉、恨んで嘆き、呪うなどの言葉が激しい風に当たります。 台風が私たちに何の益も与えないのと同じように、激しい風のような言葉は相手にも自分にも何 の益もありません。
特に組織のかしらの人は言葉に気をつけなければなりません。かしらの人がどういう言葉を口 にするかによって、相手に信仰と希望を植えつけることもあり、反対に相手をつまずかせたり、恵みに満たされなくすることもあるからです(ヤコブ3:5~6)。
また、船の小さいかじが方向を決めるように、人がその舌を間違って使うと、キリストのからだ なる教会全体が困難にあうこともあります。たとえば、誤解を招くような言葉、仲たがいさせる言 葉によって聖徒たちの間で平和が壊れることはもちろん、神様の栄光を遮ることもあります。この ように一言がとんでもない結果を招くこともあることを悟って、いつも善の言葉、愛の言葉、真理 の言葉を口にして舌を制御しなければなりません。
2. 公義の神様
「神は公義を曲げるだろうか。全能者は義を曲げるだろうか。もし、あなたの子らが神に罪を犯 し、神が彼らをそのそむきの罪の手中に送り込まれたのなら、」(ヨブ8:3~4)
神様は間違ったさばきを行ったり、公義を曲げたりはなさいません。蒔いたとおりに刈り取るようにして、行ったとおりに報いてくださる方です(ガラテヤ6:7~8、黙示録22:1~12)。
私たちに臨む祝福でも試練でも、原因のないものは一つもありません。ヨブの友だちは、普段 ヨブの子どもたちがヨブとは違って正しくなかったことを知っていました。それで、ビルダデはヨブ に「神様は四人の子どもたちが犯した罪の代価として取って行かれたのに、なぜ神様を恨むのか」 と言うのです。
ヨブは、子どもたちが罪を犯したのに、そのままにしておけば子どもたちに何か災いでも臨む のではないかと思って、代わりに全焼のいけにえをささげていました。このようにヨブはいつも神 様を恐れていました。したがって、全焼のいけにえをささげる時も、心が安らかではなかったのです。
しかし、いつも祈っていて、最善を尽くして戒めを守りながら神様を愛する人には、神様がとも にいて守ってくださるので、恐れる理由がありません。もしそういう人に困難や試練がやって来た とすれば、より大きい信仰に成長するためや大きい祝福を与えてくださるためなので、喜ぶでしょう。すると備えられた祝福を受けることができるのです。
しかし、神様を愛すると言いながら光の中で生きていないなら、試練や患難を通して徹底的に 悔い改めて、変えられなければなりません。
聖書を読むと、神様の公義を教えているみことばがたくさんあります。
病気に関する公義については、出エジプト記15章26節に「もし、あなたがあなたの神、【主】の 声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行い、またその命令に耳を傾け、そのおきてを ことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたし は【主】、あなたをいやす者である。」とあります。それで、イエス様も38年もの病人をいやしてく ださった後、彼に宮の中でまた会ったとき、「見なさい。あなたはよくなった。もう罪を犯してはなり ません。そうでないともっと悪い事があなたの身に起こるから。」(ヨハネ5:14)と言われました。 病気の原因が罪にあることを明らかに教えてくださったのです。
病気だけでなく、難しい問題やうまくいかないこと、試練や患難の原因は自分自身にあること を知っておくべきです。神様は敵である悪魔も支配しておられるので、私たちが真理の中で生き ているなら、敵である悪魔から守ってくださって、栄えさせることがおできになるのです。
「もし、あなたが、熱心に神に求め、全能者にあわれみを請うなら、もし、あなたが純粋で正しいなら、まことに神は今すぐあなたのために起き上がり、あなたの義の住まいを回復される。あな たの始めは小さくても、その終わりは、はなはだ大きくなる。」(ヨブ8:5~7)
今からでも神様に熱心に求め、全能なる方に過ちを悔い改めて心をきよくするなら、神様が思 い直して回復させてくださる、ということです。
このビルダデの助言のように、ヨブはまず「神様、今まで私の心に悪があって、激しい風のよう な言葉を口にしましたが、こんな悪い言葉をお赦しください」と悔い改めて、赦しを求めなければ なりません。
ところで、このように罪を告白しただけで終われば、何の役にも立ちません。罪を告白して悔い 改めたならば、次はその心にある罪の性質、悪をすべて捨てなければなりません。そうすれば「あなたの義の住まいを回復される。」のです。これは、心と行いが正しくなれば、神様がご覧になって正しいと認めてくださる、という意味です。
今、ヨブはどん底にいるので、スタートからやり直さなければなりません。子どもも財産もない ので、一つ一つ積み上げていかなければならないのです。まず激しい風のような悪い言葉を悔 い改めて立ち返り、心をきよくして神様に憐れみを求めれば、神様はまた成功させてくださるで しょう。いくら始めが小さくても、神様が働かれると、あっという間にはなはだ大きくなるのです。
皆さんの家庭、職場、事業の場も同じです。何よりもまず信仰が必要です。信仰がなければ悔 い改めることができないし、立ち返ることも、心をきよくすることもできません。
私たちが祈りながらみことばを守り行っていけば、天から霊の信仰が与えられます。初めはからし種ほどの小さい信仰から始まって、ますます成長していきます。からし種が育って大木になれ ば多くの鳥が宿るように、私たちの信仰の量りが大きくなれば、神様はその信仰のとおりに働いてくださいます。
それだけでなく、たましいに幸いを得ているほど、神様が家庭、職場、事業の場などすべてのことに幸いを得、健康である祝福を受けるようにしてくださるのです。ですから、大切なことは真理 の中に正しく立つことです。神様と親しい関係を築くことです。すると、無から有を創造する神様 のみわざが私たちの日々の暮らしの中にも現れるのです。
3. みことばの中から答えを探すべき
「さあ、先代の人に尋ねよ。その先祖たちの探究したことを確かめよ。私たちは、きのう生まれた者で、何も知らず、私たちの地上にある日は影だからである。彼らはあなたに教え、あなたに語 りかけ、その心からことばを出さないだろうか。」(ヨブ8:8~10)
ビルダデはヨブに、自分だけ正しいと言わずに、聖書に出てくる信仰の昔の人々から学ぶよう にと勧めています。「私たちは、きのう生まれた者にすぎない」とは、ヨブや友だちはこの地上でわずか数十年生きてきたにすぎない、ということです。このように生きてきた時間が短いので、見聞 も知識も足りなくて、世の中の事情にうといのです。
また、影は、なくなったり、朝と夕方の影が変わったりして、しょっちゅう変化します。このように、 私たちの人生も永遠ではなく、つかの間だと言っています。ですから、自分が持っている知識だ けを正しいと主張せずに、謙虚な姿勢で数千年間の先祖たちの知識を学び、私たちの過ちを悟ろうというのです。
それなら、私たちは誰に学ぶべきでしょうか。
まず神様に学ばなければなりません。神様は私たちに永遠に変わらない真理である66巻の聖 書を与えてくださいました。神様のみことばの中には、正しいか正しくないか、善か悪かを見分けるすべてがあります。信仰と救い、天国と地獄、真実と偽りが何かを教えていて、私たちはみこと ばの中から答えを得ることができるのです。
また、この真理のみことばの中には、神様を愛し愛されていた昔の信仰の人々の生き方が記さ れています。ノアはどのように水のさばきから救われたのか、モーセはどのように多くの民を導いたのか、ダビデはどれほど神様を愛したのか、ダニエルと彼の三人の同僚はどんな信仰で世と妥 協しなかったのかなどを聖書を通して学ぶことができます。
それで、ビルダデはヨブに「彼らはあなたに教え、あなたに語りかけ、その心からことばを出さないだろうか。」と言っています。これは、昔の信仰の人々の教えと行い、彼らの言葉などのすべ てが私たちと比べられて、さばかれることを意味しています。また、神様に正しいと認められた 人々の生き方に自分を照らしてみれば、自分が正しいか正しくないか、罪があるかないかなどがわかるのです。
4. 原因と結果
「パピルスは沼地でなくても育つだろうか。葦は水がなくても伸びるだろうか。」(ヨブ8:11) 以前、エリファズが話をするとき、ヨブが気を悪くしてその話を無視する姿をビルダデは見ていました。それで、ストレートな表現を避けて、たとえを挙げながら気をつけて言葉を選んでいるの です。
これは特に聖徒を導く主のしもべや働き人、部署の長の方々が見ならうべき点です。目上の人 は必ず愛と徳を備えて、遠回しな表現で目下の人を悟らせる知恵が必要です。また、忍耐と自制 があって、腹が立っても我慢して、笑うべき時と泣くべき時を見分け、いつも聖霊に働きかけられて話をして行わなければなりません。
パピルスは一年生の植物で、茎が丈夫で強く、紙を作るのに使われます。また、葦は多年生植 物で、茎はざるやすだれの材料として使われます。パピルスや葦はどちらも乾いた土地ではなく、 水辺の湿地で育つ植物です。
では、ビルダデがパピルスと葦にたとえてヨブに悟らせようとしていることは何でしょうか。
パピルスや葦は必ず水があってこそ育つように、ヨブから出て来た激しい風のような言葉はそ の心に原因があるということです。マタイの福音書15章18節に「しかし、口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。」とあるように、ヨブの心に悪があるので悪い言葉が出て来 たことを悟らせているのです。
ビルダデがヨブに言いたかったのは「君の口から激しい風のような言葉が出て来るのは、君が 神様を敬いもしないし、恐れているからではないのか。君が元気だった時は、子どもたちのため に全焼のいけにえもささげて、神様を恐れて仕えていたのに、今は苦しみにあっていて神様への 恐れもなくなってしまった。君の心に悪があるから、激しい風のような言葉をずっと出しているの ではないか」ということです。
次の時間に続いて伝えます。
