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Bible​ Study

第10課「できるものなら、と言うのか(2)」

読むみことば: マルコ9:14-29
覚えるみことば: マルコ11:24
参考にするみことば: エレミヤ33:3

教育目標: 心から信じる霊の信仰を所有して、肯定的な告白をして神を呼び求めて祈り、何でも答えを受ける聖徒になるようにする。

信仰は宝のようなもので、まことの信仰を所有すれば、光を放つ生き方をするようになります。神が何もない無から有を創造される方であることを信じるならば、どんな難関にぶち当たっても、肯定的な信仰の告白ができます。
このような信仰の告白があるとき、その信仰のとおりに神がともにおられ、たとい死の陰の谷を歩くことがあっても、守られて栄える道に導いてくださいます。
それでは、私たちが信仰によって答えを受けて、問題を解決されるのにどうしても必要な過程を<マルコ9:14-29>を通して調べてみましょう。

1. 問題を解決されて答えを受ける過程

第一、肯定的な告白がなければなりません。
悪い霊につかれている息子のためにひどく苦しんできた父親は、霊の信仰がなく、イエス様に「もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください。」と言いました。これに対してイエス様が「信じる者には、どんなことでもできるのです。」と言われると、すぐ「信じます。」と肯定的な信仰の告白をします。
もちろん、心に信じられる霊の信仰によって告白したのではありません。イエス様はどんなことでもおできになる方であるという噂を聞いて、頭で知っている信仰を告白したのにすぎません。たとえ彼に霊の信仰はなかったとしても、肯定的な口の告白が心に信じられる信仰の促進剤となって、答えにつながりました。
このように肯定的な告白はとても重要です。まことの信仰の告白は、たとえ今すぐに実現されないとしても、すでに実現されたと信じてすることなので、神がそのとおりに成し遂げてくださいます。また、信仰の告白をした人はそれを実現するために自分の方からもいつも祈りながら行うので、結局信仰のとおりに実現されます。
それでは、堂会長先生が苦しい状況の中でもどのように肯定的な思いと信仰の告白によって勝利されたのか、ともに恵みを分かち合いたいと思います。神を信じる前、堂会長先生は「良い、悪い、うれしい、悲しい、やさしい、難しい」など、肯定的な言葉と否定的な言葉を口にして生きていました。世を生きていくと、どうしても肯定的なことよりは否定的なことのほうが多くやって来るので、否定的な言葉がほとんどだったのです。
しかし、生ける神を見つけてから、聖書のみことばを通して否定的な思いや告白がどれほど無益でむなしいものであり、すべてにおいて口で告白するとおりにみわざが起こるということを悟りました。それで、教会を開拓してから今日に至るまで、いつも主にあって肯定的な言葉だけを口にしたし、確実にその口の告白のとおりになるように、神が成し遂げてこられたのがわかります。
一例として、神学校4学年の時、教会の開拓に備えていた頃、周りの多くの人々が「教会を開拓して導くということが、どれほど大変で苦しいのか知ってるのか」と引き止めました。しかし、全知全能の神を心から信じたので、「大変ではありません。神様が栄えるように導いてくださるし、祝福されてリバイバルして、大勢の人たちを救いの道に導くでしょう」と信仰の告白をしたのです。もし誰かが否定的な話をしても、その言葉は少しも耳に入りませんでした。
肯定的な心と思いで祈って信仰の告白をすると、果たして神は驚くほど働いてくださいました。驚くべき不思議としるしによって神の生きておられることを現して、全世界の数えきれないほどの人々を救って、神に栄光を帰すようにしてくださったのです。このように肯定的な信仰の告白があるとき、その信仰のとおりに神が働いてくださいます。

第二、霊の信仰を所有しなければなりません。
子どもの父親は心に信じられる霊の信仰を求めて「不信仰な私をお助けください。」(マルコ9:24)と叫びました。先に「信じます。」と告白しましたが、心から信じてはいなかったので、不信仰な自分を助けてくださいと願ったのです。
知識的な信仰は神のことばを聞いて知っているほど自分で持てますが、心に信じられる霊の信仰は神が与えてくださらなければなりません。みことばを守って聞き従うほど心が聖められ、神はそのような人に心に信じられるまことの信仰を下さいます。子どもの父親はこのような霊の信仰を持つために、イエス様に不信仰な自分を助けてくださいと言いました。
彼の真実な性分、心を尽くした求めと行いをご覧になったイエス様は、信じられる信仰を与えてくださいます。このように霊の信仰が与えられると、その信仰のとおりに答えを受けることができました。イエス様が汚れた霊をしかって子どもから出て行けと言われると、その霊は叫び声をあげて出て行ったのです(マルコ9:25-27)。

第三、神を呼び求めて祈らなければなりません。
神は「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」(エレミヤ33:3)と約束されました。聖書を読むと、旧約の預言者たちも、イエス様も、新約の使徒たちも神を呼び求めて祈って、問題を解決していただきました。神を呼び求めて祈ってこそ、心に信じられる信仰が与えられ、答えを受ける資格を備えるようになります。
この時、重要なのは、答えが来る時まで祈り続けなければならないということです。少し祈ってみて、答えが来ないからといってあきらめてはいけません。<マルコ11:24>に「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」とあるように、祈って求めるものはすでに受けたと信じなければならないのです。
このような信仰を持てば、たとえ答えが少し遅れても気を落とさないで、答えを受ける時まで変わらない信仰によって祈ります。神はその信仰と誠意をご覧になって、必ず答えてくださいます。悪い霊につかれている子どもの父親はあきらめないで最後まで主を呼び求めて祈ったので、答えを受けることができました。
このように、知っているところで終わる知識的な信仰ではなく、心から信じる霊の信仰を所有して、肯定的な告白と神を呼び求めて祈るとき、答えを受けることができます。

2. 信じる者には、どんなことでもできるのです。

人の力と能力では不可能なことも、全知全能の神はおできになります。治らない病気や家庭、職場、事業の場のどんな問題であっても、神は完璧に解決してくださいます。ただし、私たちが神の御前に霊の信仰を持って出て来る時でこそ、神のみわざを体験することができます。
聖書を読むと、昔の信仰の人々は人としてはできない驚くべきことを数えきれないほど行いました。ところが、これは聖書の中でだけ見られることではありません。今日も神のみわざは私たちの日々の暮らしの中で絶えず現れています。
聖徒の中にはがん、結核、中風、脳性マヒ、ヘルニア、関節炎、白血病など、治らない病気、難病で死を待っているうちに、信仰によって完全にいやされたケースが多いです。悪い霊につかれた人が正常になり、小児マヒや交通事故などで一生障害を持って生きなければならなかった人々も、祈りを受けてその場で立ち上がって歩き、飛び跳ねました。
ひどいやけどを負った人が祈りを受けると直ちに熱気が退いて、短時間で傷跡もなく完全にいやされました。脳出血や一酸化炭素中毒などで意識がなく、からだが固まっていた人々が、祈りを受けてすぐ目を覚まして、後遺症もなく正常になりました。5年、10年、20年の間みごもれなかった人が、祈りを受けてみごもり、健康な赤ちゃんを産んだケースも多いです。この他にも、見えず聞こえず、話せなかった人々が正常になって、神に大いに栄光を帰しました。
このような驚くべき神の力は、単にいやしのみわざだけに限られません。どしゃ降りの雨が祈ると直ちにやみました。熱い太陽の光が照りつけるとき、雲が押し寄せてきてさえぎり、台風が退くなど、天気まで動きました。夏のキャンプの時は、全国が台風や梅雨で大きい被害を受けても、夏のキャンプの場所だけは雨が降らなかったのです。そうかと思えば、ふつう雨が降った後にこそ見られる虹を、晴れた空で数えきれないほど見ました。
神はこのようなみわざを通して、聖書が真実であることを現して、聖徒たちがまことの信仰を持つようにしてくださいました。ですから、不可能のない神を完全に信じて、日々の暮らしの中で神の力をいつも体験し、栄光を帰しますように。

●まとめと適用
1. 私たちが信仰によって答えを受けて、問題を解決されるには、どうすればいいでしょうか。
①(     )告白がなければならない。
②(     )を所有しなければならない。
③(     )祈らなければならない。
2. 悪い霊につかれている子どもの父親に霊の信仰はなかったが、(     )口の告白が心に信じられる(     )の促進剤となって、答えにつながった。

●今週の課題
 皆さんがどんな状況でも挫折せずに移り変わらない信仰を所有し、神様に喜ばれるにはどうしたらいいでしょうか。<マタイ17:24-27>を読んで考えてきましょう。

●知って力にしましょう!
「肯定的な口の言葉」
肯定的な口の言葉は人生を変える。人の脳にある言語中枢神経は私たちのからだのすべての神経を支配するそうだ。
たとえば、ある人が「私はますます弱くなっている」と言えば、言語中枢神経の働きで他のからだの神経組織も弱くなるように調節されるというのだ。
肯定的な言葉はからだだけでなく、私たちの人格形成など、すべての面に影響を及ぼす。それで、口で告白するとおりに人格が変えられて、人生の方向が変わったりもする。
 

『 神の良きみこころ 』

『 六日間のマナ1 

『 六日間のマナ2 

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