​礼拝メッセージ

第23課「聖霊が助けてくださる信仰」

読むみことば: ヨハネ14:16

覚えるみことば: ヨハネ16:7

参考にするみことば: 使徒2:1-4

教育目標: イエス・キリストを受け入れて罪が赦され、聖霊を賜物として受けたとすれば、助け主聖霊を信じてより頼むことで幸せな信仰生活をするように助ける。

 

1. 助け主聖霊

ヨハネの福音書13章を読むと、イエス様が過越の祭りを前にして、十二弟子たちとともに最後に晩餐をなさり、弟子たちの足を洗ったあと、告別説教をされます。その時、シモン・ペテロが「主よ。どこにおいでになるのですか。」と尋ねます。イエス様は「わたしが行く所に、あなたは今はついて来ることができません。しかし後にはついて来ます。」と答えられます。

続く14章では、イスカリオテ・ユダの裏切り、ペテロの否認、イエス様の死に関する予告を聞いて、不安と恐怖に震える弟子たちを慰められます。「あなたがたは心を騒がしてはなりません。…わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。…あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。…また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」(1-3節)と言われます。

しかし、弟子たちはどこへ行かれるということなのか、よくわからなかったのです。また、自分たちといつもともにおられ、みことばを教えて苦楽をともにしてこられたイエス様が去って行かれるというので、心配になったのです。このような弟子たちの心をご存じのイエス様は、弟子たちを捨てて孤児にはしないで、助け主聖霊を遣わすと約束なさいます(16-18節)。

「助け主」とは、聖徒たちを守って助けてくださる聖霊を指しています。イエス様は弟子たちに、聖霊がどのように助けてくださるか、その役割についてもいちいち教えてくださいました(26節)。

その当時はすべて理解できませんでしたが、五旬節の聖霊降臨の後、弟子たちはイエス様のおことばを一つ一つ悟ることができました。主が復活、昇天されたあと、120人ほどの聖徒たちがエルサレムに集まって祈っていたとき、助け主聖霊が臨みました。その後、聖徒たちは聖霊に満たされた信仰生活ができたし、初代教会に爆発的なリバイバルが起きました。使徒をはじめとして初代教会の働き人たちは聖霊に力づけられて福音を活発に伝えました(使徒2章)。

 

2. 聖霊が助けてくださる信仰生活をするには

1)うちにおられる聖霊を信じてより頼まなければなりません

<使徒2:38>に「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」とあります。

誰でもイエス・キリストを受け入れて価なしに罪赦され、自分の罪を悟って徹底的に悔い改めれば、神は心のうちに助け主聖霊を賜物として遣わしてくださいます。

私たちの目には見えないけれど、助け主聖霊は私たちの心のうちに確かに生きておられ、異言などいろいろな賜物を通して証拠を見せてくださいます。聖霊に満たされた使徒たちは権威あるみことばでただ一度で数千人も悔い改めさせ、主イエスの御名の前にひざまずかせました。聖霊の力で歩けない人を立ち上がらせるなど、聖霊が実体として存在されるという証拠を現わしました。私たちがイエス・キリストを主と、神をアバ、父と呼んで、礼拝して祈って賛美するのも、心のうちにおられる聖霊が信仰を与えてくださるからです。

ある人々は「私のうちに本当に聖霊がおられるだろうか。私はこんな罪を犯したけれど、御霊が消されたのではないのか」と心配します。しかし、かたくなでみことばを疑ってさばいて罪に定める、道ばたの心でないなら、ほとんどが聖霊を受けます。たとえ罪を犯しても、ほとんどの罪は悔い改めて再びみことばの中に生きようと努力すれば赦してくださるので、御霊は簡単に消されたりしません。

したがって、聖霊が助けてくださる信仰生活をするには、自分のうちに聖霊がおられることを信じるだけでなく、聖霊により頼まなければなりません。助け主聖霊が自分を助けてくださる方であることを信じて、いつも頼らなければなりません。世を追い求める古い人の姿は脱ぎ捨てて、神のみこころのとおりに生きなければならないのです。

時には自分にはできなくて、よく理解できないこともあります。こんな時、聖霊の助けを信じてより頼めば、自分にはできないこともできて、理解できないことは理解できるようにしてくださいます。

 

2)聖霊が悟らせてくださる善のみことばを無視してはいけません

助け主聖霊は聖書のみことばを通して、または聖霊の声で、善について悟らせてくださいます。ところが、悟っても「私に当てはまるみことばじゃない」と言って心の戸を閉ざしてしまえば、悟ることはできません。ですから、良い心に変えられることもできないし、信仰も成長しないから、足踏みだけするようになるのです。

皆さんは霊の愛、善、御霊の実など、霊の心に変えるメッセージを聞いているでしょう。この時、聖霊はこのような真理を通して、最高の善とおとなの信仰の量りに至る道を悟らせてくださり、天国の新しいエルサレムに行く道へと導いてくださるのです。

それでは、皆さんはすべてのみことばを自分に下さるみことばとして受け入れているでしょうか。でなければ「あんなに高い次元の善と信仰の行いはまだ私の力ではできない」と決めつけてしまってはいないでしょうか。神は皆さんをいつも信仰の目で善をもって見ておられます。最高の善を実践できる、昔の信仰の人々のように大きい信仰を持つことができると期待してくださるのです。そして、それぞれ信仰の段階で何を悟るべきで行うべきなのか、聖霊を通して教えてくださいます。その次には、自分が悟ったことを行えるように、詳しく細やかに聖霊を通して導いてくださるのです。

ところが、聖霊がいくら悟らせてくださっても、無視することがあります。聖霊は神の愛がどんなに大きいのかをいつも悟らせてくださることで、私たちも神を愛するべきだと教えてくださいます。

<ローマ5:5>に「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」とあります。このように聖霊が働かれるのに従って神の愛を信じることがまさに善です。

ある人は「私はまだ神様の愛を感じたり体験できなくて、神様を愛せない」と言ってみことばを無視します。これは、神に対して反抗する肉の思いを巡らして、善のみことばを無視する行いです。

このように、聖霊が悟らせてくださることを無視し続ければ、聖霊が善の思いをするように働きかけてくださっても従うことができません。また、神の愛も感じられず、神が注いでくださる恵みも受けることができないのです。

別の例として、聖霊はみことばで新しいエルサレムに行ける道を教えてくださいます。ところが「私は前にこれこれの罪を犯したから、私とは関係ないみことばだ」と思います。徹底的に悔い改めて、ただ新しいエルサレムだけ望んで走って行けばよいと聖霊が悟らせてくださっても、否定的な思いを打ち砕けないのです。神の愛を受け入れることができないのです。

皆さんは聖霊を通して善のみことばを聞かせてくださるとき、ただ「アーメン」と自分のこととして受けますように。聖霊が助けてくださるうちに神の善を悟って、神の愛を感じるならば、まことに楽で幸せな信仰生活ができます。

 

3)聖霊の導きに従い、神が望んでおられるとおりに生きるために努力しなければなりません

助け主聖霊は神が望んでおられるとおり生きられるように、いつも導いてくださいます。したがって、聖徒たちは聖霊の導きに従って、神が望んでおられるとおりに生きようとする意志を見せなければなりません。

それでも「私のうちにおられる聖霊がすべてなさるから」と、聖霊にだけすべての責任を転嫁してはいけません。助け主聖霊が悟らせてくださることを悟って行うために、積極的に努力しなければなりません。

自分を助けてくださる聖霊がうちにおられることをまことに信じる人は、聖霊に働きかけられるために、みことばを聞いて祈ることを慕います。悟らせてくださったとおりに聞き従うために、絶えず自分を服従させていくのが見られます。働きかけられたとおりに行うことが難しい時も、自分を助けてくださる聖霊を信じる人は「私のうちに聖霊がおられるので、できる」と信じて、聖霊により頼みます。

このように努力する過程が必要であり、行いが積まれるほど聖霊の声を聞いて、導かれることがますますたやすくなります。ですから、いつも聖霊が助けてくださる信仰生活ができるのです。昔の信仰の人々について読むと「こんなに偉大で驚くべきわざをどうやって行ったのだろうか」とうらやましい時があるでしょう。私たちも聖霊に助けられれば、神の愛と力を頂いて、主にあってできないことがなくなります。信仰生活が大変だと感じられるのは、自分自身に頼るからです。助け主聖霊により頼んで、いつも「信仰生活がとても楽で幸せです」と告白できますように。

 

●まとめと適用

1. 聖霊が助けてくださる信仰生活をするにはどうしなければならないでしょうか。

①うちにおられる(     )を信じてより頼まなければならない。

②聖霊が悟らせてくださる(     )を無視してはいけない。

③聖霊の導きに従い、神が(     )とおりに生きるために努力しなければならない。

2. 助け主とは、聖徒たちを守って助けてくださる(    )を指している。

 

●今週の課題

皆さんが信じている神様とはどんな方ですかと聞かれたら、どう答えるでしょうか。<創世記1:1><ヨハネ1:1>を読んで考えてきましょう。

 

●知って力にしましょう!

「善の段階」

◇善の一段階:悪を行う相手に悪い感情があるが、対抗しないでじっと我慢する。

◇善の二段階:悪をもって悪に報いないだけでなく、心にある穏やかでない感情もない。

◇善の三段階:悪を行う相手に善をもって感動を与えられる段階である。

◇善の四段階:悪を行う相手のためにいのちをも与えられる最高の善である。

 

 

神の良きみこころ

第1課 「主の幻と定めの時

第2課 「神の良きみこころ

第3課 「涙で御足をぬらしてくちづけして

第4課 「私が示す地へ行きなさい

第5課 「あなたの行かれる所へ

第6課 「罪を犯さないでください

第7課 「もしそうでなくても

第8課 「食卓から落ちるパンくずはいただきます

第9課 「あなたの信じたとおりになるように

第10課 「一握りの粉と、ほんの少しの油があるだけです

第11課 「あなたのよいと思うとおりに

第12課 「多くの良いわざと施しをしていた

第13課 「どうして私は神に罪を犯すことができましょうか

第14課 「【主】は与え、【主】は取られる

第15課 「私はその者を全焼のいけにえとしてささげます

六日間のマナ1

第1課 「創造主の神」

第2課 「人を耕作なさる神」

第3課 「善悪の知識の木を置かれた理由」

第4課 「土地の買い戻しの権利のあるイエス・キリスト」

第5課 「世界の始まる前から隠されていた奥義」

第6課 「木の十字架にかけられたイエス様」

第7課 「十字架につけられて水と血をすべて注ぎ出されたイエス様」

第8課 「イエス様の着物を互いに分け合い、下着をくじ引きにするようにされた摂理」

第9課 「全身に打ち傷を負って血を注ぎ出されたイエス様」

第10課 「いばらの冠をかぶって手と足に釘を打たれたイエス様」

第11課 「十字架上の七つのことば(1)」

第12課 「十字架上の七つのことば(2)」

第13課 「十字架上の七つのことば(3)」

第14課 「水と御霊によって新しく生まれてこそ救われる」

第15課 「霊的な子ども」

第16課 「人の子の肉を食べ、またその血を飲んでこそ永遠に生きる」

第17課 「光の中を歩んでいる時の祝福」

第18課 「肉の信仰と霊の信仰」

第19課 「救われるための信仰の一段階」

第20課 「みことばどおり行おうと努力する信仰の二段階」

第21課 「みことばどおり行える信仰の三段階」

第22課 「神をこの上なく愛する信仰の四段階」

第23課 「神に喜ばれる信仰の五段階」

六日間のマナ2

第1課 「すべてのはかりごとと思弁を打ち砕こう」

第2課 「信仰の種を蒔こう」

第3課 「真心と全き信仰」

第4課 「求めなさい、捜しなさい、たたきなさい」

第5課 「どうすれば答えられるのか」

第6課 「できるものならと言うのか」

第7課 「火の答えを受けたエリヤ」

第8課 「永遠なるもののために」

第9課 「天国の宴会に招待された人たち」

 
 
 
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