​礼拝メッセージ

第37課「ゆるがされてはならない」

読むみことば: 士師記9:7-15

覚えるみことば: 箴言4:27

参考にするみことば: エペソ6:5-7

教育目標: まことの義人になるために、霊的にゆるがされることなく、自分の分と持ち場を守り、任せられた使命をよく果たす聖徒になりますように。

 

漢方の甘草は根に甘みがあって、他の漢方薬とは違っていろいろなところに用いられます。甘みが消化器官を助け、他の薬剤の作用をやわらげるからです。こんな甘草でも、患者の症状によって禁じる場合があります。甘草は体内に塩分と水分を蓄積させるので、高血圧や心臓病には良くないそうです。私たちがよく使う漢方薬の中にも、用いるべきところと用いてはならないところがあります。必要なところに用いれば良い結果を得ますが、そうでない場合、副作用や良くない結果をもたらすことがあるのです。

 

1. そよがなかった木々といばらのたとえ

士師記9章には、ギデオンの息子ヨタムがシェケムの人々に向かって、オリーブの木といちじくの木、ぶとうの木、いばらのたとえを挙げて叫びますが、その理由は何でしょうか。

その背景を調べてみましょう。イスラエルの民が神に罪を犯して、ミデヤン人に7年間苦しめられていたとき、神がギデオンをさばきつかさとして立て、三百人の勇士で多くのミデヤン人を退けて勝利するようにしてくださいました。するとイスラエルの民はギデオンに自分たちを治めてくださいと頼みますが、彼は「私はあなたがたを治めません。また、私の息子もあなたがたを治めません。【主】があなたがたを治められます。」(士8:23)と言って断ります。

ところが、ギデオンが死んだ後、そばめの子であるアビメレクが王になろうという欲を抱いて陰謀を企みました。アビメレクは自分の母の故郷であるシェケムの人々を懐柔して資金を用意した後、その金でごろつきの、ずうずうしい者たちを雇いました。それから父の家に行って、自分の腹違いの兄弟七十人を一度に抹殺しました。

幸い、ギデオンの末子ヨタムだけは隠れていて災いを免れることができました。結局、アビメレクがシェケムの人々の後押しで王になると、この知らせを伝え聞いたヨタムは我慢できませんでした。彼はシェケムの南側にあるゲリジム山の頂上に立って、オリーブの木といちじくの木、ぶどうの木といばらをたとえにして、シェケムの人々に叫びます。木々が彼らの王を選ぼうとする時に、美しい実を結ぶオリーブの木といちじくの木、ぶどうの木はそよがないで、全部王になることを辞退しましたが、何の使い道もないいばらだけが自分の分もわきまえないまま高ぶって、王になろうとしたのです。

これは、ギデオンと彼の息子たちは民が要請しても王位を欲しがらなかったのに、そばめの子であるアビメレクが悪い方法で王になったことをたとえたのです。もちろん、このため神のさばきが臨んで、アビメレクを王として立てたシェケムの人々はかえってアビメレクの手で滅びたし、アビメレクもひとりの女が投げつけたひき臼が頭に当たって、惨めな死を遂げてしまいました。各自の持ち場で守るべき道理があるのに、これから逸脱するから不幸な結果を招いたのです。

 

2. 各自の持ち場で守るべき道理

すべての人には自分の持ち場ですべきことと道理があります。道理とは、人が当然守るべき正しい道のことを言います。子は親に仕え、兄弟と仲良くして、年少の者は目上の人を敬うなど、人が守るべき正道を歩むとき、道理に従っていると言えます。親としてすべき道理があり、夫あるいは妻としての道理があります。

また、主のしもべとしての道理があり、聖徒としての道理があります。たとえば、主のしもべならば、聖徒たちが悪はどんな悪でも避けて、完全に真理のとおりに生きるように悟らせて、神を愛し、何をしても天国への希望をもって勝利する生き方をするように導かなければなりません。聖徒としては、みことばに聞き従うことで変えられて、正しくきよい人になって、全家を通じて忠実であることが道理でしょう。

両親は子どもをおこらせてはならず、主の教育と訓戒によって真理にあって正しく養育し、子どももやはり主にあって両親を敬って、聖書のみことばに聞き従うことが道理なのです(エペソ6章)。

夫婦の間も同じです。妻はかしらとして夫に仕えて家庭を顧み、夫は一家の長として家庭を守り、妻を愛するものの、キリストが教会を愛されたように愛さなければなりません(エペソ5章)。

神は上下関係の道理についても教えてくださいました。まず目下の人に対して「奴隷たちよ。あなたがたは、キリストに従うように、恐れおののいて真心から地上の主人に従いなさい。人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方でなく、キリストのしもべとして、心から神のみこころを行い、人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい。」と言われました(エペ6:5-7)。そして、目上の人に対しては、<コロサイ4:1>「主人たちよ。あなたがたは、自分たちの主も天におられることを知っているのですから、奴隷に対して正義と公平を示しなさい。」と言われました。

このように、皆が各自の持ち場で守るべき道理があり、まことの義人になるには、自分の道理をよく守らなければなりません。

 

3. ゆるがされない信仰生活

自分の持ち場と道理を守ることは社会的にも重要ですが、教会のすべての組織内でもどうしても必要なことです。からだの器官の中で、あるものは尊く、あるものは尊くないことはないように、各自の持ち場で自分の使命を大切に思って、与えられた事に忠実であるとき、すべてのことを平和のうちに進めていくことができます。

神の子どもは一つのからだをつくる尊い器官です。ですから、互いにあなたを必要としないと言うとか、他の器官の心を痛めてはなりません。もしそんなことがあるならば悔い改めて立ち返るべきであって、ひょっとして相手に過ちがあるとしても、愛をもって覆って、誰かがほめられればともに喜んで、励まさなければなりません。また、誰かが苦しめば、祈りと断食で助ければならないでしょう。

本文を読むと、オリーブの木は自分を王としようとしても、その地位を辞退して全くそよぎません。いちじくも「私は神と人とをあがめるために使われる私の油を捨て置いて、木々の上にそよぐために出かけなければならないだろうか。」と言ったし、ぶどうの木も「私は、神と人とを喜ばせる私の新しいぶどう酒を捨て置いて、木々の上にそよぐために出かけなければならないだろうか。」と言って、王になることを拒否しました。しかし、分をわきまえないいばらだけは、王となってくださいという要請にゆるいでしまいました。

私たちはこれを通して、自分を知って本分を守ることがどれほど望ましく大切なことなのか悟れます。神にとってはすべての分野がみな大切です。ただしその分野でどのように自分の使命をよく果たすかが重要で、行ったとおり報いを受けるようになります。

神は、私たちがゆるがされないで自分の持ち場をしっかり守ることによって、すべてが調和よく完全に行われることを望んでおられます。

 

4. その他、ゆるいではならない分野

第一、信仰の岩に立つまではゆるいではなりません。

私たちが信仰の岩に立てば、どんな試練や患難がやって来ても、右にも左にもそれません。信仰がゆるがないので神のみこころならば直ちにその道を歩めるし、敵である悪魔・サタンに誘惑されないで、いつも勝利できます。

第二、祈る時にも、ゆるがずに、いつものように時間を定めてしなければなりません。

聖霊に満たされてうれしい時には祈って、疲れて眠たければ祈らなかったり、平安な時は祈らないでいて、試練や患難がやって来ればその時だけ祈ってはいけません。祈りをやめないものの、答えを受けるためにもゆるがずに祈らなければなりません(ヤコ1:6-8)。

第三、愛することにおいてもゆるいではなりません。

一度愛したら、変わらずに愛さなければなりません。神がひとり子イエス様を十字架に渡してくださるまで私たちを愛してくださったので、私たちもゆるいだり変わったりすることなく神を愛さなければなりません。心から変わらず神を愛する人には必ず行いの実が現れます。

第四、忠実と奉仕においてもゆるいではなりません。

心の良い人は神のみこころでなければ決してゆるぎません。ダニエルと三人の同僚は、獅子の穴や火の燃える炉に投げ込まれるとしても、真理を守りました。

私たちも聖い心と全き信仰を持つまで、ゆるぐことなく使命を果たし、熱心に走って行かなければならないでしょう。

 

●まとめと適用

1. 自分の持ち場を忘れてゆるがされ、自分の兄弟を殺して悪い方法で王になったアビメレクを、ヨタムは何にたとえているでしょうか。

2. 私たちが信仰生活をしながらゆるいではならないことには何があるでしょうか。

 

●今週の課題

ノアは恐ろしい洪水のさばきから守られましたが、どんな心を持っていたので守られたのでしょうか。<創世記6:5-12>を読んで考えてきましょう。

 

●知って力にしましょう!

「ギデオン」

イスラエルの五人目のさばきつかさである。バアルの祭壇を取りこわし、アシェラ像を切り倒したことをきっかけに「エルバアル」とも呼ばれるようになる。ギデオンがミデヤンとの戦いのために勇士を募集すると、三万二千人が志願する。このとき、ギデオンは水を手ですくってなめた三百人だけ選抜して戦いに出て行く。神はギデオンに、敵陣でひとりのミデヤンの兵士がその同僚に夢の話をするのを盗み聴くようにすることで勝利の確信と勇気を与えられた。ついにギデオンはミデヤンとの戦いでたった三百人で十三万五千人を退けて大勝し、四十年間イスラエルを治めた。

 

神の良きみこころ

第1課 「主の幻と定めの時

第2課 「神の良きみこころ

第3課 「涙で御足をぬらしてくちづけして

第4課 「私が示す地へ行きなさい

第5課 「あなたの行かれる所へ

第6課 「罪を犯さないでください

第7課 「もしそうでなくても

第8課 「食卓から落ちるパンくずはいただきます

第9課 「あなたの信じたとおりになるように

第10課 「一握りの粉と、ほんの少しの油があるだけです

第11課 「あなたのよいと思うとおりに

第12課 「多くの良いわざと施しをしていた

第13課 「どうして私は神に罪を犯すことができましょうか

第14課 「【主】は与え、【主】は取られる

第15課 「私はその者を全焼のいけにえとしてささげます

六日間のマナ1

第1課 「創造主の神」

第2課 「人を耕作なさる神」

第3課 「善悪の知識の木を置かれた理由」

第4課 「土地の買い戻しの権利のあるイエス・キリスト」

第5課 「世界の始まる前から隠されていた奥義」

第6課 「木の十字架にかけられたイエス様」

第7課 「十字架につけられて水と血をすべて注ぎ出されたイエス様」

第8課 「イエス様の着物を互いに分け合い、下着をくじ引きにするようにされた摂理」

第9課 「全身に打ち傷を負って血を注ぎ出されたイエス様」

第10課 「いばらの冠をかぶって手と足に釘を打たれたイエス様」

第11課 「十字架上の七つのことば(1)」

第12課 「十字架上の七つのことば(2)」

第13課 「十字架上の七つのことば(3)」

第14課 「水と御霊によって新しく生まれてこそ救われる」

第15課 「霊的な子ども」

第16課 「人の子の肉を食べ、またその血を飲んでこそ永遠に生きる」

第17課 「光の中を歩んでいる時の祝福」

第18課 「肉の信仰と霊の信仰」

第19課 「救われるための信仰の一段階」

第20課 「みことばどおり行おうと努力する信仰の二段階」

第21課 「みことばどおり行える信仰の三段階」

第22課 「神をこの上なく愛する信仰の四段階」

第23課 「神に喜ばれる信仰の五段階」

六日間のマナ2

第1課 「すべてのはかりごとと思弁を打ち砕こう」

第2課 「信仰の種を蒔こう」

第3課 「真心と全き信仰」

第4課 「求めなさい、捜しなさい、たたきなさい」

第5課 「どうすれば答えられるのか」

第6課 「できるものならと言うのか」

第7課 「火の答えを受けたエリヤ」

第8課 「永遠なるもののために」

第9課 「天国の宴会に招待された人たち」

 
 
 
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